そ、それが…元々アラビア皇帝位はスンニ派に改宗しなければ得ることができなかったものであり、ペルシア皇帝になれたのなら一時的にでもアラビア帝位は手放すことが、ゾロアスターの信仰を守るという目標を果たせなかった自身へのペナルティだとプレイヤーは考えているようで…。
ゾロアスターの帝国は歴代Bavandid家の当主とその家臣たちが心血注いで築き上げてきたものだ。それを、プレイヤーや皇帝の勝手な考えで崩されてたまるか!!
あなたとは気が合うと思っていたけど、今回の件で失望しました。私たちが好き勝手できる源は権力にあるのよ。それを大きく低下させる今回の所業はあきれ果てたわ。
Manushihrよ、皇后の命令です。この愚かな夫をどこかに閉じ込めてしまいなさい。
皇帝の代わりに政治は私が執り行うわ。Manushihrは私を補佐しなさい。
かくして悪帝は悪皇后によって幽閉されたのであった。
Bavandid帝国分割の図。
左様でございますな。いかがいたします、アラビア大総督を攻めますか?
一応本家の意向には従ってくれるみたいだし、当面はいいでしょう。
そうですな。あの国に対しては我々が攻勢に転じる段階に入ったでしょう。
1307年10月。ペルシア帝国(アラビア帝位が分家に移ったため、以後はペルシア帝位で表記)はビザンツ帝国に宣戦布告した。
これからは我々が攻めるターンだ!
この時期、ビザンツ帝国は相次ぐ内乱とハンガリーに樹立されたモンゴル人の帝国の侵略により窮地に立たされていた。 そこへ背後から殴りかかったのだ。 それはかつて自らがBavandid家を危機に陥れたアナトリア大戦役の状況に酷似していた(第14話参照)。 もっとも、今や立場は大きく異なるものとなっていたのではあるが。
申し上げます!ビザンツの主力と思われる軍が敵領を包囲していた我が軍に攻撃を仕掛けてきました!すぐに後方に待機していた兵を向かわせます!!
ビザンツ軍、やけくその攻撃。
これでビザンツ帝国の敗北は確実なものとなった そこへ・・・
アラビア大総督「皇帝さんよ、俺の戦にも協力しろよ。」
大変です!アラビア大総督がエルサレムに対する聖戦を宣言、我らに対して援軍を請うてきました!!
皇帝をないがしろにしたアラビア大総督の勝手なる振る舞い、後で制裁を加ええやらねばなりますまい
アラビア大総督のエルサレム聖戦への援軍として、ペルシア帝国は皇帝近衛軍(宗教騎士団)を派遣した。 近衛軍を派遣したことには、ちょうどいい機会なので新設されて間もない彼らの実戦能力を確かめようという考えがあった。 しかし、同時に、彼らにアラビア軍の行動を監視させるという意図もあったのである。
アラビア大総督の援軍として戦う近衛軍。
1309年9月。 モンゴル帝国がビザンツ帝国に戦を宣言した。
モンゴル皇帝「(ビザンツ分割レースに)俺も混ぜろよ。」
これにより、ビザンツ帝国は完全に戦意を喪失、ペルシア帝国への敗北を認めた。
また、同じ時期にエルサレム聖戦もアラビア大総督の勝利に終わった。
ビザンツ帝国から領土を獲得した。この快挙にペルシアの国中が沸き立っていたものの、国の中枢では重い空気が流れていたのであった。
あなたの目は節穴なの!?ペルシア帝国領内にちらほらアラビア領があるじゃないの!
私はね、こういうちぐはぐな領土は嫌なの。見てて気持ち悪いじゃない?
鈍いわねえ!さっさとアラビア大総督にペルシア帝国de jure内に持つ領地の返還を要求してきなさい!!
しばらくして
アラビア大総督は要求を拒否しました!そればかりか我らとの国境に兵を配置しだしている模様です!
ペルシア帝国はアラビア大総督の主よ。主の命に従わないとか、驕り過ぎだわ!!至急兵を集めなさい!!アラビア大総督を討伐します!
自分の立場というものを嫌でも思い出させてやる。なお、アラビア大総督は現在幼君な模様。
血みどろの内紛。そこに仁義などは存在しない。
アラビア大総督軍はしょせんは烏合の衆。また、アラビア帝国時代の獅子身中の虫であった4王のほとんどをその管理下に持つアラビア大総督の勢力は常に安定せず、そのことも我らを勝利に引き寄せました。
ですが、敗れたアラビア大総督の我らへの恨みはとても大きなものとなり、アラビア大総督はこれ以降一層我らよりの独立心を高めていくこととなります。
(アラビア大総督の我らへの敵対心をより強くしたので喜んでいる場合ではないが…)それはようございましたな。
てめえら、俺にあのような仕打ちをしてどうなるかわかってるんだろうな!?
ははっ。ウマイヤ家のカリフがアラビア大総督に対しシリアへのジハードを発令しました!
この前の懲罰戦争で殴り過ぎちゃったのにカリフが反応したのね。
懲罰戦争…!?てめえら、連邦している部下に何をやってるんだ!
そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!あなたはこの状況どうする?
わかったわ!Manushihr、配下の全諸侯に通達しなさい。当分は静観するわよ!!
おい!俺の話聞いてんのかよ!!俺の指示と全く逆じゃないか!!
でも、援軍送るよりもシリアジハードが成功した後にカリフからシリア奪った方が得じゃない。
元はと言えば全てあんたのせいでしょう!!あんたが連邦制だか何だか知らないけど吹き込まれて勢力を分割したからみんな苦労してるんじゃない!!!
それに方針に口を挟むのはやめてくれない!?あんたは一応皇帝なんだから、真逆のこと言われたらみんな混乱するじゃないの!!
わかればよろしい。私はこれから戦の打合せをしてくるから、あなたは暇なら部屋の掃除でもしてなさい。
口を挟むなも何も「あなたはこの状況どうする?」と聞いてきたのはお前やんけ!!
1322年。ウマイヤ朝によるシリアジハードは成功し、シリア一帯はムスリムのものと化した。
冗談じゃないわ!アラビア大総督の仇は我々が討ちます(ニヤリ)!!
シリアジハードの成功の報が届いた数日後、ペルシア帝国はシリアの奪還を理由にウマイヤ朝に宣戦布告した。
皇帝近衛軍(宗教騎士団)総長でございます。お呼びにより参上いたしました。
はっ。宣戦布告と同時に我が軍はシリアへの侵攻を開始いたしました。
我が軍は占領したばかりで脆い敵の城塞に猛攻を仕掛け、次々と敵領は我々の手に落ちています。
「敵の城壁はまるで紙のようだ!」
我が軍の奇襲的電撃戦の前に敵はなすすべもありません。作戦は大成功です!
第1次シリア遠征は我々の勝利で無事に終わることとなりました。
第2次シリア遠征。
その結果、我々は1328年までに下図の地域の獲得に成功しました。
黒枠がシリア遠征で新たに得た領土。
我々は遠征の成功にうかれていました。この後待ち受ける悲劇を知らずに…。
ああ、我が孫よ…。若いお前が俺をより先にどうして逝ってしまうのだ…。
ペルシア女王即位。これは正直まずい。
孫娘が即位したか。兄の分までよくペルシアを治めてもらいたいな。
ペルシア王位は次期皇帝が就くのが我が国の決まりよ。それが破られてしまったのよ!
我が帝国は男系相続が基本よ。でもペルシア王に女がなったことでペルシア王位は皇帝直系から離れてしまったの!
よくないわ!ペルシア王位は帝国にとってはとても特別な称号なのよ!皇帝のコントロール下から離れては絶対だめなの!
ちょっと待てよ!孫娘にどうしてそんなひどいことができるんだ!!
孫娘といってもあの娘はあんたと側室の間にできた子の娘だし、別にね…?
1329年初め。ペルシア女王Zohrehに対し、ペルシア王位の剥奪が通告された。
冗談じゃないわ!そんな理不尽な命に従えるものですか!!私は皇帝に反旗を翻します!!
かくして、帝国史上最も憎悪あふれた内乱と称された「ペルシア女王の乱」が始まったのであった。
国を2分する大内乱。
Manushihr、アラビア大総督に兵を送るよう命じてきなさい!
ありがとうございます!ですが何故ですか?皇帝が今まで閣下にした仕打ちのことを考えれば、拒否されて当然だと思ったのですが。
それに余は信義を大切に為政者として臨んでいきたいと思っている。援軍を送るのは当然だよ。
何という仁君!ありがとうございます!!では、陛下への報告がありますのでこれにて失礼します。。
アラビア大総督からの援軍もあり、帝国軍は終始優位に反乱軍との戦を進めた。
そして、5年にも及ぶ内戦に勝利を収めたのであった。 ペルシア女王Zohrehは捕えられ、身柄を都へと送られた。
これはこれは義理のお祖母様。相変わらず憎たらしい顔だこと…!
ペルシア王位だけではなく公爵号も剥奪ですか?それとも伯領を一部没収?本当お祖母様は欲深いこと。
皇帝の孫が反乱を起こすなど言語道断。その罪は非常に重いです。故に死罪を申しわたします。
ち、ちょっと待ってください!罰が不当です!!お祖父様に会わせてください!!
ペルシア女王Zohrehは反乱の罪により処刑された。
Zohrehはその悲劇の生涯に幕を閉じた。
これにより、ペルシア王位は皇帝の元に戻った。 いくら反乱を起こしたとはいえ、孫娘を処刑したことに対し、人としての情がない、血も涙もない、と皇后を批判する者もいれば、親族だからといって国法を曲げなかったと評価する者もおり、意見が分かれた。 このころより皇后は「鉄の女」と皮肉を込めて呼ばれるようになった。
1334年10月。Zohrehの処刑から間もなく。皇后Jamilehは病に倒れた。
巨星堕つ。
この日から数日後、皇后Jamilehは世を去った。Bavandid家の史書では、彼女のことを「女帝」と記すものもある。 それほど偉大な女性であった。
ふう!さーて、妻も亡くなったことだし、これで俺の好き勝手にできるな!まずは何をしてやろう!!
死んだ奴は黙ってろよ!これからは皇帝である俺が国を動かしていくんだ!
皇后Jamilehの死の2か月後の1335年1月。Hazarasp帝は妻の後を追うかのように世を去った。 享年73。かくして「悪帝」と「悪皇后」による1つの時代は終わりを告げたのであった。