プレイヤーよりこの度「AAR皇帝相談役」に任命されたモブキャラことManushihrです。
プレイヤーは新しい皇帝ごとに会話の相手役を変えるのがどうもめんどうくさくなったらしく、今回以降のBavandid家当主の相手役は全て私が勤めることになりました。
歴代皇帝のAARでの相手役を一括してするのが「AAR皇帝相談役」なのです。
先帝の死に伴い、AAR出演を引退されました。静かな余生をおくられることでしょう。
余生って…まだ生きる気なのか…。まあ長生きしていただきたいものだなあ(棒)
戦嫌いに育った模様。だが、その生涯は本人の意思とは裏腹に戦の連続であった。
アフリカ王って動員兵力10000程度の小勢力だろ?それに戦を仕掛けられるってことは…。
以前は何度も我々に戦を仕掛けてくるほど威勢がよかったのに、一気に弱くなったな。
それほど先代のビザンツ皇帝が偉大だったということでしょう。今の皇帝には父の築いたものを守りきる実力はありません。
先代のビザンツ皇帝というと、親父から散々変人だと聞かされたものだが。
有能な変人でしたねえ。まあ我らが先帝も負けず劣らずの変人ぶりでしたが…。
で、いかがいたしますか?ビザンツの弱体化は我らにとって好機ですが
西暦1240年8月。アラビア帝国軍は大挙してビザンツ領内への侵攻を開始した。
この当時、内と外に多くの敵を抱えていたビザンツ帝国にとってこの出来事は絶望以外の何物でもなかった。
何も抵抗できないうちに、彼らキリスト教徒にとっては偉大なる聖地であるエルサレム一帯は異教の大軍で埋め尽くされた。
ビザンツ帝国の凋落ぶりは極まるところまできており、この時Varshasbたちは勝利を信じて疑わなかったし、ビザンツ側も敗北を確信していた。 しかし、思いもよらないところから横やりが入る。
西暦1241年3月。未だビザンツ帝国との戦の最中にあったアラビア帝国に激震が走った。
大変です!ウマイヤのカリフがシリアに対するジハードを宣言し、我らに宣戦布告してきました!!
呑気にエルサレムを包囲している場合ではなくなりましたが、いかがいたしましょう?
へ、兵の一部をエルサレムの占領に残し、残り全軍でジハード軍に備えるぞ!!
1241年1月
とか何とか言ってるうちに、シリア全土がウマイヤ朝の大軍で埋め尽くされていますが…。
しかし
敵の兵数が異常です。50000以上の敵軍が待ち構えてました…。
傭兵を雇用して再度戦地に向かう我が軍。
いつのまにか女帝になってる…。
それは重畳。ところで、ビザンツ帝国はいつのまにか女帝になってるな。
はい。前皇帝の子供が女しかいなかったみたいで女帝の即位となりました。
ビザンツ帝国との戦が終わった後も、対ジハード戦は続いた。
倒しても倒しても上陸してくる敵軍。中々たまらない戦勝点。本当に苦痛でした(プレイヤー談)。
戦の開始から6年が過ぎ、ようやく戦勝点が100となるに至り、ウマイヤ家のカリフは敗北を認めた。
長い戦いだった…。
今回のジハードの敗北によりカリフの権威は地に落ちました。早速ウマイヤ朝においては不満を持つ諸侯が反乱を起こしたようです。
正直今は敵のことなどどうでもいい。それぐらい厭戦気分がたまっている。
第2次シリアジハード戦は、蓋を開けてみるとゾロアスター教とイスラム教の総力戦となった。 この戦に勝つことができなかったイスラム教、その盟主たるウマイヤ朝は大きく疲弊し、これ以後衰退の歴史を歩んでいくこととなる。
ペルシアで簒奪者Darim朝を倒し、Saffarid朝が復活しました。
何だそんなことか。ペルシアにおけるSaffarid家の影響力は強い。復活しても別に驚くことではないだろ。
どうもこの人物、Ilkhanateの支援を受けて帝位を得た人物のようで、かつてはIlkhanateの宮中に滞在していたようです。その時に改宗させられたようで…。
すでにスンニ派よりテングリ教に改宗する諸侯も現れ始めているようです。
先のジハードの敗北により、スンニ派の権威も地に落ちたということか…。
第2次シリアジハードは色々なところに大きな影響を及ぼした。その代表的なものが、Saffarid朝のテングリ教への改宗であろう。 Saffarid朝にとって一番の敵はアラビア帝国である。そして、それはアラビア帝国に大敗を喫したIlkhanateも同じであった。 アラビア帝国という共通の敵の存在により、両者が共闘する理由ができたのだ。 しかし、宗教の垣根を越えて連合するのは難しい。 そんな時に、第2次シリアジハードのスンニ派の大敗北という出来事が起きた。 スンニ派の権威が地に落ち、Saffarid朝にはそれを理由に改宗することが可能となった。 ならば躊躇することはない。信仰を守ることも大事だが、それ以上に代々保ってきた家を守ることの方がもっと大切だ。 Ilkhanateと同じテングリ教に改宗することで、Ilkhanateと連合してアラビア帝国という脅威に対抗することが可能となる。 Saffarid朝内ではこのような考えが大勢を占め、テングリ教への改宗というミラクルが引き起こされたのであった。
そうだな。しばらく停止していたペルシア遠征を再開することにいたそう。
かくして、西暦1248年5月。アラビア帝国はSaffarid朝に宣戦布告した。
Saffarid家のテングリ教への改宗は、皮肉にもアラビア帝国の介入という結果を残したのであった。 急きょ行われることとなったこのペルシア遠征は、別な大戦の引き金となっていく。
蛮教徒どもの兵のほとんどがペルシアに向けられた今こそが聖地を取り戻す好機だ!!
次回、このゲームの主役(?)現る。