近々モンゴル拡張が出るとのことで、拡張前に区切りをつけようと思い、ゲームのプレイに集中してました。
アプデ前にプレイを終わらせることができてホッとしております。
これでモンゴル拡張が発売されてもAARの更新速度は落ちないわね。さすが我が孫!
というわけでこのプレイ自体は1453年まで終わらせることができました。後はひたすらAARを書くのみなので、失踪しないように頑張りたいと思います。
前回はIlkhanateに対し雪辱の戦を仕掛けたところで終わったんですよね。
敵のイベント兵軍団が到着する前に目的の土地を占領して敵の戦意を砕き、早期講和を目指します!
…間に合うのかしら…。某極東の島国の軍部がそんな戦略で超大国に挑んだ結果を知らないのかしら…。
開戦と同時にあらかじめ国境に待機させていた傭兵軍団を侵攻させ、わずか数か月で目的の城塞を落とすことに成功しました。
また、ペルシア湾方面より少数の敵兵が現れたので、これを叩いておきました。
北方より敵軍約11000が現れました!すぐに15000の兵を派遣し、これの撃破に成功しました!
戦場はおそらく我らがゾロアスターの聖地Tabrizとなるでしょう。すぐにTabriz周辺に展開する我が軍を全て集結させます。
西暦1236年7月29日。後に戦史に名を残すこととなるTahkht-eSoleymanの戦いは幕を開けた。 アラビア軍は最初少数の兵でTabrizの山岳地帯に陣を敷いていた。 そこへIlkhanate軍50000が殺到したのであった。 「敵の増援が来る前にここを落とすのだ!」 Ilkhanateの将軍はそう兵たちに命じたものの、頑強な天然の山岳要塞に籠りひたすら守備に徹するアラビア軍に、無敵モンゴル軍団も攻めあぐねた。 やがてアラビア軍の増援部隊が次々と到着し、最終的にはアラビア軍約75000、Ilkhanate軍約53000が会する中世最大規模の激戦となったのであった。
天下分け目の戦い。
長時間に及んだ激戦は、地形を味方につけたアラビア軍の勝利に終わった。
雪辱、果たす。
以後は敗走するIlkhanate軍の掃討戦となり、多くのモンゴル兵が戦場の露と消えた。
掃討戦と言いながら結構苦戦しているのは内緒。
そして,皇帝Hulegが死去するに至り、Ilkhanateは継戦を断念。西暦1237年初め。Tabrizの割譲を条件にアラビア帝国に屈した。
この敗戦により、Ilkhanateの命運は尽きた。
この戦以降、モンゴルより連れてきた歴戦の兵の多くを失ったIlkhanateはその後も盛り返すことなく、激動の歴史の中で消えていくこととなる。
今回の戦の決断、徹底的な現実主義者のあなたらしくないと思ってたけどまさか最初から勝てると判断してたの?
ilkhanateへの雪辱を果たしたい、その一心でこの私が初めて感情のままに決断しました。
西暦1238年。先のIlkhanate戦での疲弊を好機と見たビザンツ帝国がAscalonを求めて再び宣戦布告してきた。
またお前か…。
まーたあの誇大妄想狂ですか…。我々は確かに先の戦で疲弊しましたが、モンゴルを倒したという自信が兵たちにはみなぎっております。絶対に負けませんよ!
ああは言ったものの、先の戦で痛手を負ったのも事実です。苦戦するでしょうな…。
しかし、Goshtasbの予想に反して、戦は終始アラビア軍優勢のまま推移した。
強力なモンゴル兵を倒したという自信が、アラビア兵に想像以上の大きな力を与えていたのだ。 そして、何度目かの会戦でビザンツ皇帝は捕えられ、戦はアラビア帝国の大勝に終わったのであった。
そうですか…。めんどくさいお方でしたが、尊敬に値する偉大な人物でした。いなくなると寂しいですね。
Goshtasbを散々悩ませたHierotheos帝は、まだアラビア帝国がIlkhanateとの戦を行っている最中にこの世を去った。 享年69。その生涯はローマ帝国の再興を夢見た誇りある一生であった。 彼の死をもってビザンツ帝国の栄光の歴史はある意味終わったのかもしれない。事実、これ以降のビザンツ帝国は徐々に衰退していくこととなる。
西暦1239年末。ビザンツ戦からまだ1年もたたないうちにGoshtasbは病に倒れた。
私もついに寿命ですか。まあ人はいつか死ぬのです、仕方ないことでしょう。
大変です!東方の大ハーンが新たな遠征軍を派遣したとの知らせが来ております!
西暦1239年末。新たな敵が東より迫ってきているという情報がアラビア中を騒がせている中、Goshtasbは世を去った。 聖帝の名にふさわしい栄光ある生涯であった。