飛び地のHeart州(Khiva王国のde jure)の割譲を求めているものと思われます。名目上は…。
敵が行使したのがInvasionCBなのですよ。モンゴルのInvasionCBは開戦事由の地域に関係なく占領した土地が全て手に入るというチートCBなんです…。
何とか徹底的に野戦で敵に戦勝点を蓄えてもらい、敵がこちらの土地をあまり占領しないうちに戦勝点を100にしてもらわないと…。
いや、だって消耗なしの10万のイベント軍(しかも弓騎兵)とかさすがに無理ですよ…。
とにかくひたすら殴りかかって敵のイベント兵をできるだけ削ることが一番の目標ですから。戦に敗れても、敵のイベント兵の数を多く減らせればこちらの勝ちです!
かくしてIlkhanateとの戦は始まった。
日本の某ローカライズ企業のおかげで我々はお前たちにネタにされ、笑われているというがな
謎の部族でも何でもない!我々はモンゴルだ!蒼き狼の末裔だ!!
いや、兵の補給限界的にSaffarid朝の領地を通っていくのは厳しいので放置しましょう。
敵軍をこちらのホームグラウンドに引きずり込んで決戦を挑みます!
大変よ!今度は北の方角から敵軍およそ50000が現れたわ!!
モンゴル兵強すぎやろ…。
我々の主力軍はもう戦える状態にはないわ。後はモンゴル軍に占領されるがままよ。
赤枠が敵に取られた土地。
あなた方がさっきの戦で不当に占領したバグダッド周辺の土地を返してもらいに来ました。
Ilkahanateとの戦に敗れたアラビア帝国は傭兵を大量に雇用し、すぐさま取られた土地の奪還を目指して再戦を挑んだ。 占領したばかりであり城壁のもろいこれらの土地は、開戦後即座に侵攻してきたアラビア傭兵軍による強攻により、次々と落とされ、戦勝点は瞬く間に100となった。
イベント兵さえいなければ勝てるんだよ(震え声)。
あまりの速攻ぶりにIlkhanateも対応することができず、敗北を認め講和となった。
まあそれはいいんだけど、結局聖地Tabrizは敵にとられたままよ(開戦事由外の土地だった)。
これはこれはビザ…ローマ帝国のHierotheos皇帝。お久しぶりです。
君たちが弱ってる間に周辺の蛮族に狙われたら大変だよ!!だから我がローマ帝国が…
君たちに不当に占拠されている地中海沿岸の領地を守らなければ!!!だから宣戦布告して取り返す!!!!
西暦1226年。Ilkhanateとの戦争によりアラビア帝国が疲弊したのを好機とみたビザンツ帝国は、Ascalon公領を求めて再びアラビア帝国に宣戦布告した。
あそこらへんは兵の補給限界が比較的高い地域なので大軍を一か所に集めることが可能です。数の暴力で各個撃破しましょう。
アラビア帝国とビザンツ帝国の戦は、終始アラビア帝国に優位に進んだ。 地の利を生かした、敵軍に常に勝る兵力での会戦。 Goshtasbの指示のもと、徹底的にこのセオリーを守り続けたアラビア軍は1万弱の兵をバラバラに送ってくるビザンツ・イタリア(同盟参戦)連合軍を各地の戦場で破り続けた。
にらみ合う両軍。
50000近い大軍を9000のビザンツ軍にぶつけようとする常に全力(大人げない)のアラビア軍。
勝利。なお、兵数で圧倒的有利にも関わらずこちらも1万もの兵を失った模様。
とどめだ~!
西暦1227年。アラビア帝国とビザンツ帝国との間で講和が結ばれた。
この講和はアラビア帝国側からの申し出により痛み分けという形で結ばれることとなり、ビザンツ帝国側も体面を保つことができた。 しかしながら誰が見てもビザンツ帝国の敗北は明らかであり、Hierotheos帝の威光にも陰りが見え始めた。 これ以降、東地中海の覇権はアラビア帝国が一手に握ることとなる。
ビザンツとの戦からしばらくして、兵を回復した我々は断続的にペルシアへの遠征を決行しました。
また、領地が一挙に増えたことにより5個目の王位の創設が行われ、皇太子Varshasbが新たにBaluchistan王に封じられました。
相次ぐ我々への敗北により求心力を大幅に低下させたSaffaridの皇帝はクーデターにより失脚、新たな皇帝には前皇帝の私生児Dariushが即位し、Darim朝の樹立を宣言。これにより、Saffarid朝は一時的に滅びることとなりました(後に帝位を取り返し、復活する)。
この人物を境に、Saffarid朝の皇統は大きく変わっていく。
このような情勢の中、ペルシア遠征の成功に自信をつけた私は、再び彼の国に挑みます。
もう負けないぞ(震え声)。