先帝Mehrazadの妻でGoshtasbの母の、皇太后Fareedehよ。先帝は実の兄でもあるわ。
母さん、てことは、母さんは僕の母であり、叔母さんでもあるってことだよね…?
近親者同士での結婚はゾロアスターの教えに従った、とても尊い行いなのよ?
それはわかってるんだけどさあ、正直僕には合わないなぁなんて思っちゃって…。
紹介するよ。Talibaだ。とても可愛らしいベドウィンのお嬢様だ。
冗談じゃないわよ!あなたは妹と婚姻を結ぶ予定なのよ?なに勝手に結婚してるの!?
母さん、僕は皇帝だ。皇帝はこの国のトップなんだよ。いくら母とはいえ、トップの決めたことに口を挟まないでくれるかな?
Goshtasb、それは詭弁よ。これは国だとか皇帝だとか関係ないわ。家の問題よ!息子の嫁を決めることに母が骨折るのは当たり前のことよ!
(アルメニア王、サンキュ!)じゃあ母さん、僕は行かなきゃ。とにかく僕は結婚の取りやめは絶対しないからね!
かくして新帝の結婚は無事に(?)認められたのであった。
Goshtasb帝。父親譲りで外交能力が非常に高い。全体的に優れている。軍事能力が低いのがやや難なくらいか。
というわけで僕も皇帝に即位したわけですが、早速外征を行いたいと思います。
祖父や父のように、弱小勢力をぼこって新皇帝の威信を高めるのね。
ええ、スンニ派のカリフであり、ヒスパニア皇帝であるウマイヤ朝です。
ええ、通常なら正気な判断ではないでしょう。ですが、これをご覧ください。
ウマイヤ朝は現在大内乱の真っ最中にあります。今攻めれば確実に勝てます。
西暦1187年末。GoshtasbはAscalon公爵領を求めて、ウマイヤ朝に宣戦布告した。
ウマイヤ君はイベリアに帰ってどうぞ。
この時期、ウマイヤ朝は国内での大内乱の最中にあり、本国イベリア半島ではカリフ派と反カリフ派が仁義なき争いを繰り広げていた。 そのため、ウマイヤ家のカリフに遠く離れた中東まで援軍を送る余裕は到底なく、アラビア軍は無抵抗のままにAscalon一帯の占領を進めた。
カリフはAscalon一帯の放棄を決断し、アラビア帝国に対し敗北を認めた。
かくして、アラビア帝国は地中海に面する豊かな地Ascalonをほぼ無傷で手に入れた。 まさに新帝の即位のデモンストレーションとしては最適の戦となったのであった。
Goshtasbは獲得したAscalon一帯の伯領を、宮廷にいたカロリング家の一族(領地を失ってどこからか流れてきた面々、ゾロアスター教に改宗済み)に与えた。 このことは、西欧の名族であるカロリング家を自らの傘下に収めようという新帝の野心が見て取れた。
Ck2屈指の名族も真の信仰に目覚めつつあるな、結構!
アッバース家はこの時期、これまでの一族による緩やかな連合をやめ、バグダッド王を称した(恐らくNew KingdamのdicessionでAIが創設した新王号と思われる)一族の元、1つに統合されていた。 分裂していたイスラム世界の名家を再び団結へと導いたのは、皮肉にもBavandid朝による外圧の脅威が大きな要因であった。
西暦1191年3月。Goshtasbは第5次アッバース家討伐を宣言し、Basra公爵領を求めてバグダッド王に宣戦布告した。
アラビア軍はBasra一帯を占領する軍と、アッバース軍と戦う軍の2つに大きく分かれて、アッバース領に侵攻した。
アラビア半島とエジプトの兵を主力とする我が軍は恙なくBasraの包囲を開始しました。
報告ありがとう。では、我らはBasraの救援に向かうであろうアッバース軍を待ち伏せしましょう。
数日後
北よりアッバース軍とみられる軍、およそ1万が接近してきているという知らせが届きました!
アッバース軍が目視できる距離に現れました!敵もこちらの存在に気付いたのでしょう、戦の用意をしているようです!
おのれ、せっかくアッバースの一族を1つに纏め上げたというのに…。アッバースの総力を結集してもBavandidには敵わぬというのか…。
アッバース軍の大部隊を敗走させたアラビア軍は、そのままBasraを包囲していた軍と合流し、Basura一帯の占領を行った。
埋め尽くさんばかりの数のアラビア軍部隊。
そして、戦の開始から2年経たない間に戦勝点は100となり、アッバース家はアラビア帝国にBasra一帯を割譲することを余儀なくされたのであった。
もうアッバース家も虫の息だ。
滅亡の危機に瀕したアッバース家はある決断を行った。
これにより、Saffarid家とアッバース家は固く結ばれた。
これよりはアッバース家はSaffarid家と運命を共にする!
それは、事実上アッバース家がSaffarid朝の傘下に入ることを意味していた。 かつてはカリフとして世界帝国を築き上げた誇り高き一族は、今や恥も外聞も捨て、ペルシア人の皇帝に助けを求めたのだ。 それはある意味、時代は確実に移り変わっていることを多くの人に感じさせる出来事であった。 そして、「時代の移り変わり」は、今やアッバース家の盟主となったSaffarid家にもまた、確実に忍び寄っていたのである。
西暦1193年11月。Saffarid朝を大きく揺るがす出来事が起きた。 インドとの境を守る要衝の領主、Saffaridの皇帝の信頼も厚く王号にも封じられ「ペルシア皇帝の藩屏」と称された、本来なら皇帝一族に最も恩を感じていなければならないNotaniの一族(かつてペルシア封臣時代のBavandid家にインド攻めの援軍を求めたこともある(第10話参照))が反旗を翻したのだ。
この反逆にペルシア諸侯の半分近くが同調し、国を2分する争いとなりつつあった。
我が国との境にあり、ペルシア湾に面するFarsを攻めます。あそこにはゾロアスター教の聖地の1つがありますゆえ。
その時歴史が動いた。
西暦1194年6月。ペルシア情勢を注意深く分析し内乱の長期化を確信したGoshtasbは、ゾロアスターの聖地Farsの奪還を目的にSaffarid朝に宣戦布告した。 この知らせにSaffarid家は大きく動揺した。 「ゾロアスターが攻めてくるだと?何かの間違いではないのか?」 「奴らは我々に攻められるだけの存在ではなかったのか?」 Saffarid朝はアラビア帝国を舐めていたのだ。 常に戦力で上回り彼らを攻めてきた歴史が、アラビア帝国に対する慢心と油断を生じさせたのであろう。 しかし、ここ20年ぐらいで状況は大きく変化した。 もうアラビア帝国はペルシア帝国に勝る国力を有している。
アラビア軍は大兵を擁し、ペルシアへの侵攻を開始した。
saffarid帝国当代皇帝Hooshyarである。戦況はどうだ?
反乱軍にも対応せねばならず、我が軍は常にアラビア軍に対し少ない数の兵での戦を余儀なくされております。おそれながら、苦しい状況かと…。
しかし、アラビア軍の勢いを防ぐことはできなかった。 西暦1196年末、アラビア軍はFars一帯を完全に占領し、自国への編入を宣言した。
勝った…!
最早Saffarid朝にもそれを覆すことのできる力はなく、渋々とそれを認めることしかできなかった。
ペルシアより追われておよそ70年。Bavandid家がペルシア帰還への一歩を踏んだ瞬間であった。
赤枠が獲得地域。ついに反撃を開始した。
Bavandid家が着実に勢力を広げていたころ、ゾロアスターの最大の宿敵はローマの地を歩んでいた。
それが、教皇は我が軍が到着するよりもとっくの昔に逃亡したようです。
そうか、まあ良い。ローマ帝国の元にローマの地が帰ってきたのだ。このことに比べれば、「異端の指導者」を取り逃がしたことなど些細なことよ。
若き英邁な皇帝Hierotheos帝のもと、急速に国力を増強させてきたビザンツ帝国は、ついにローマへと進軍し、教皇を追放することに成功していた。
後に後期ビザンツ帝国屈指の名君と称される人物。Bavandid家にとって宿敵となる。
ローマ教皇は南仏へと逃れ、その地に臨時の教皇庁を設置、神聖ローマ帝国の庇護下のもとビザンツ帝国との対決姿勢を強めていた。
中東だけでなくヨーロッパの地にもまた、「時代の移り変わり」が訪れていたのであった。