西暦1151年。アッバース家討伐を行っていたBavandid朝に対し、突如Saffarid朝が宣戦布告をしてきた。
アラビア皇帝ManushihrはSaffarid朝に対する勝利を確信していた。 そこへ凶報が届く。
これまで不気味な沈黙を保ってきた巨龍がついに、ササン朝の時と同じようにゾロアスターに襲い掛かる。 かくして、後に「アナトリア大戦役」と呼ばれることとなる大戦の火ぶたは切って落とされた。
落ち着いてられるかよ!アッバース家のダマスカスとアラビアの公爵も合わせて4つの勢力と戦争状態になったんだぞ!どうしろっていうんだよ!
ビザンツとSaffarid朝とか…。どちらか片方と相手するだけでも勝つか負けるかの戦いなのに両方とか…。涙目すぎる。
ここで陛下のお心をさらに悩ますような知らせが届いております…。
ビザンツ皇帝は西方皇帝に援軍を要請、西方皇帝も敵に回った模様です。
いつのまにか成立していた…。
これ、ビザンツとsaffarid朝との間でうちを同時に攻めようという密約でもあったんじゃないの?
とりあえず、アッバース一族の2公爵との戦にさっさとけりをつけよう。
ダマスカス公爵との戦はもう少しで戦勝点100になるから続行しよう。アラビア公爵とは白紙和平で戦を終わらせてしまおう。
運が良かったな…。
お前は運が悪かったな。
アラビア公爵との講和が無事に成立しました。また、ダマスカス公爵との戦も戦勝点が100になり、勝利しました!
よし!全軍をアゼルバイジャンに回せ!まずはSaffarid朝を叩く!
アゼルバイジャンへと大急ぎで向かったBavandid軍は、Saffarid軍の主力と思われる部隊を補足した。
Dvinの戦いでの敗北はSaffarid朝の戦意を大きく減退させた。 元々Saffarid朝自体、今回の戦にはあまり乗り気ではなかったのかもしれない。 それが証拠に、戦勝点たったの20ぐらいでSaffarid朝は白紙和平での講和に応じた。
負け犬の遠吠え。
アラビア帝国がペルシア帝国との戦を行っている間に、アナトリア半島には続々とビザンツ・HRE連合軍が集まってきていた。
やけになってビザンツ皇帝暗殺のPlotを立ててみる。皇帝の妻が参加した模様。
挟み撃ちだぁあ!!
1万9000の敵軍が援軍に向かおうとするものの、間に合わない模様。
さらにその1万9000のビザンツ軍に襲い掛かる。
逃がさねぇぞ!
おそらくそうでしょうな。遠いところまでわざわざご苦労なことです。
その後、ビザンツ軍の残兵を叩き続け戦勝点を溜めた結果、ついにビザンツ皇帝は講和に応じた。
このくらいで勘弁してやろう(だからもう来ないでください!お願いします!!)。
この一連の戦に勝利したManushihrの名声は大きく上昇し、アラビア軍の精強さは天下に鳴り響いた。
かくして「第1次」アナトリア大戦役はアラビア帝国の勝利に終わったのであった。
アナトリア大戦役に勝利したこともあり、ゾロアスター教の権威は徐々に回復していった。
支配地の州では、スンニ派からゾロアスター教に改宗するプロブィンスも現れてきた。
ゾロアスター教の拡大は、スンニ派を警戒させるには十分すぎるほどであった。 カリフの地位にあったウマイヤ家は大きな決断を下す。
ウマイヤ家のカリフがエルサレムに対するジハードを発令しました!
現在、中東の地ではゾロアスター教ブームが起きていますからね。中東はムスリムにとって本貫ともいえる地です。中東をスンニ派のもとにつなぎとめておくためには、スンニ派の権威を示さねばならなかったのでしょう。
およそ100年ぶりにカトリックどもからエルサレムを取り戻したわけか(第9話参照)。
聖地を取り戻したことでスンニ派の権威は大きく上昇するでしょうな。
大変です!Saffarid朝がアッバース一族に戦を仕掛けました!!
西暦1155年。アナトリアでの大戦より数年。Manushihrは第4次アッバース家討伐を宣言し、バグダッド公爵領を求めてアッバース家に宣戦布告した。 静寂は破られ、今度はメソポタミアの地を戦火が襲うこととなった。
大変です!アッバースはSaffarid朝よりも先に我々と決着をつける腹のようで、アッバース連合軍の大兵が突如我々の都に現れ、都は包囲されました!
おのれ!我らに喧嘩を売るとどうなるか敵に思い知らせてやれ!!
まさかの首都の陥落。この事実はアラビア帝国首脳に大きな動揺を与えた。 しかし、すぐに首都を取り戻すというManushihrの強い決意のもと、アラビア軍は士気を高め、首都に居座る敵軍に襲い掛かった。
都が敵国と隣接しているのは本当にリスクが高い…。
都を占領さえすれば、敵の戦意は大きく低下するであろう。そう考えていたアッバース一族の前に現れたのは復讐に萌えるアラビア帝国の大軍であった。 予想していたのとは全く異なる展開に、アッバース連合軍は散々に敗れ、潰走した。 そして…
アラビア帝国は戦争に勝利し、アッバース一族は、家の誇りともいえる都バグダッドを失ったのであった。
現在のアラビア帝国周辺の宗教分布。ぽつぽつとゾロアスター教を信仰する土地が出てきている。
現在のゾロアスター教の宗教権威。聖地を1つも保持してない割には高い。
それは西暦1162年末のことであった。
などとくだらないやり取りをやっていたら、再び奴はやって来た…!
ビザンツで皇帝の代替わりがあったようで、和平期間は帳消しとなったみたいです。
ビザンツ軍は前線に我らとほぼ同じ兵数である、約3万2000の兵を展開しております。ですが、分散している模様!
敵軍を1部隊破りました!後続の16000の敵は間に合いませんでした!
おらおらおらー!
敗残兵の生き残りは、あの16000のところに逃げ込んだか。よし、攻撃するぞ!
大変です!敵の増援部隊約12000が向かってきているとの知らせが…!
非常にまずい…。
西暦1163年末。Mazakaで行われた大会戦は、数で劣るビザンツ軍の奮戦と増援の到着により、ビザンツ軍の大勝に終わった。
陛下を死なすわけにはいきません!ええい!陛下を取り押さえよ!
陛下が強情をはられるからです。さあ、陛下をお連れして逃げよ!
後でどのような責めでも受けます。私が死ななかったらの話ですが。
私には、まだペルシア討伐という大切な使命が残っておるというのに。
西暦1163年末。Manushihrは戦に敗れ、逃げている最中、突如血を吐いて倒れた。 従者によって必死に看護されたものの、意識が戻ることは無く、そのまま世を去った。 彼には大望があった。しかし、それを成せぬまま、志半ばの死となった。 享年50。史書には「憤死」と記されている。