12代目当主であり、アラビア帝国3代目皇帝のBakhitiarである。先帝の不幸な戦死により、新たに即位することとなった。
アルメニア王のArdavanだ。先帝の代から引き続き相談役を務める。
うむ。4代目の当主がスンニ派に改宗してから百数十年。ついにゾロアスター教が帰って来た。
ついこの間までカリフ位にあった家が異宗教になるわけだからな。知らせを聞いて、大慌てで対策を練っているのではないか?
だが、国内諸侯のほとんどはスンニ派だ。これからが大変だということを自覚してくれよ。
口の利き方に気をつけよ!朕は皇帝である。これまでのそなたの功績を考慮して今まで目をつぶってきたが、そなたの不遜な態度は目に余る。いい加減臣下としての分をわきまえぬか!
…。私はBavandid一族の長老だぞ?お前こそ言葉遣いに気をつけよ!それに私が皇帝と対等な口の利き方をすることを許可したのは、先帝であるぞ?お前は先帝の意に背くのか?
先帝は先帝、朕は朕。態度をいつまでも改めぬようなら、そなたを投獄する。
くっ(代替わりの今の時期にこのようなことで内紛が起きるのはまずい…!)。申し訳ありませんでした、陛下。
ゾロアスター教になったはいいけど…。
代替わりしたばかり、異文化、それと異宗教ペナルティのコンボで諸侯の陛下へのopinionが極端に低く、諸侯に軍役を拒否されているからです。
まさかのアビシニア王に攻められる。
アビシニアのような小国に攻められるとか、どうなっておるのだ…。
アビシニア王に、今攻めれば勝てるんじゃね!?と思わせるほど、我が国は弱っているということです。
Bakhitiarは諸侯に対し、アビシニアの侵略軍に対する防衛軍の召集を布告した。 しばらくして諸侯より続々と兵が送られてきたが、その兵数の多さにBakhitiarは驚くこととなる。
さっきまで軍役を拒否していたくせに、どうしてこんなに多くの兵を出してくれるのだ…。
外敵に攻められると、defending補正で配下のopinionが大幅に上昇しますからね。関係が改善されて、諸侯も大兵を出してくれたのです。
国内で常に対立していても、外敵に対しては結束して応戦した、中世諸侯の習性を再現する仕様ですからな。代替わり直後の不安定な時期に外国に攻められるのは、何気に国を安定させるチャンスでもあります。
朕のためにここまで兵を出してくれるとは…。やはり朕の威光の賜物だな。
(こいつ私の話を聞いてないのかよ…。)陛下のために兵を出すというよりも、自分のためという気持ちが強いでしょうがね。
諸侯のopinionが上昇したことで、金を積めば、諸侯がゾロアスター教への改宗に応じてくれるようになったぞ!
「ゾロアスター教に改宗しま~す。」
アビシニア王国から宣戦布告されたという事実は、アラビア帝国の諸侯に危機意識を植え付けるには十分であった。 アビシニアのような小国にすら攻められるのだ、このままではすぐ隣りで虎視眈々とこちらを見ているSaffarid朝やビザンツ帝国が攻めてくるのは時間の問題だ。 そうなれば、今まで代々継いできた家と領地が断絶してしまう可能性もある。 家名を守ることが第一の責務である諸侯にとって、アラビア帝国を団結させるために手段を選んでいる余裕はなかった。 諸侯のゾロアスター教への改宗は、皇帝に歩み寄ることで国を安定させようという、まさに苦渋の決断だったのである。
……。あ、そういえば諸侯が陛下にニックネームをつけたことはご存知ですか?
諸侯「陛下ってぶっちゃけデブだよね!」
このようなやり取りが行われている間にも、アビシニア軍は着実に都市を占領して戦果をためていた。
アラビア軍は編成を終えると、大急ぎでアビシニア軍の撃退に出陣した。
それは、アラビア軍がアビシニア軍撃退のために出発した直後のことだった。
かつてのBavandid家の主君、Saffarid朝のGodarz皇帝です。これはGodarz陛下、わざわざありがとうございます。
要は宣戦布告ってことだ。Tabristan地域を返してもらうぞ、ゾロアスターを信仰する異教徒めっ!
というわけで言いたいことを言えたのでこれにて帰る。戦場で会おう。
西暦1113年6月。Saffarid朝ペルシア帝国はアラビア帝国に対し、3度目の宣戦布告を行った。 予期せぬ宣戦布告(宣戦布告されないように、ペルシア皇帝とのopinionを高めていたのに…)にアラビア帝国首脳部は大きく動揺した。
なぜですか!?あの兵がいないとさすがにまともにペルシア軍とは戦えませんよ?
今兵を呼び戻したら、アビシニアに好きなように都市を略奪されることになる。
それは仕方ありませぬ!今はアビシニアよりもペルシアの方が優先して戦うべき敵ではないですか!
いや、ペルシアならまだしも、アビシニアに負けることは朕のプライド的に絶対に許せぬ。まずはアビシニア軍を叩くのだ!
アビシニア撃退に向かったアラビア軍の元にも、ペルシアが攻めてきたという知らせは届いた。 しかし、皇帝から「まずはアビシニア勢をアラビア半島から追い払え」という指令書が届いたことにより、アラビア軍の指揮官たちは不安を感じながらもそのまま進軍させた。
ペルシアの宣戦よりおよそ2年の歳月が経った。 その間、Saffarid朝の大軍はTabristan地域の占領を進めていた。 アラビア軍はわずかな留守兵しか残っておらず、ペルシア勢が占領していくのをただ黙ってみているしかできなかった。 そして…
無事にアビシニア王との間で白紙和平による講和が結ばれた、と知らせが届きました。
アラビア軍は豊臣秀吉の中国大返しを彷彿させるような強行軍で取って返した。 そして、Tabristanにいたペルシア軍と衝突した。
勢いに乗ったアラビア軍は占領されていたTabristan諸都市の解放を行い、戦勝点を大きく引き戻すことに成功した。 そして…
今回はここらへんで勘弁してやる(勘弁してください)。
講和が結ばれたのであった。
どうも退廃反乱軍が発生したみたいで、そちらの方に多くの兵を回さざるを得なくなったことが原因みたいです。
退廃とか…、やはり腐敗した宗教ごときが我が偉大なるゾロアスターには勝てるわけがなかったのだ!
その腐敗した宗教の指導者をこの間まで務めていたのががうちなのですが…。
外敵が退けられたことによりひとまずの安泰が保障されたアラビア帝国では、諸侯が各々の野望のために再び動きを活性化させた(opinionのdefending補正がなくなった)。 Tabriz女公が王権低下を試み兵を挙げたのも、外敵が去り平和になったことが要因であった。
Tabriz女公軍の撃破には成功したものの、我々はまだペルシア戦での痛手から回復してはおりません。適当なところで講和いたしましょう。
仕方あるまい…。だが、この朕に逆らったことを後で後悔させてやる。
Bakhitiarの怒りは別なところで爆発した。
朕の意に反し、いつまでもスンニ派の信仰を捨てないAleppo公爵を許すことはできない。爵位の剥奪を命じる。
Bakhitiarは未だにスンニ派の信仰を捨てず不穏な動きを見せる諸侯の大掃除に乗り出したのである。 その原動力となったのが、皇帝を敬おうとしない諸侯に対する怒りだったのである。
Aleppo公爵が予期せぬ大軍を動員した(豊富な資金で傭兵を雇っていた)に驚いたものの、戦は順調に推移し
無事に講和となった。
Aleppo公爵はその爵位と領地を全て剥奪され、投獄された。 この戦を境に皇帝の本気を感じ取った諸侯は一気におとなしくなっていき、国内は安定へと向かったのであった。
そうか、残念だな。是非とも直接面と向かって、我々に生涯負け続けた気持ちは如何なるものか聞きたかった。
ペルシア新帝「貴殿の不当に支配するTabriz、Tabristanはペルシア帝国の正当な領土である。返しやがれ。」
西暦1127年。かくしてアラビア帝国とペルシア帝国は4度目の戦となった。 アラビア帝国は傭兵を大量に雇用し、ペルシア帝国に対し前線兵力で優位に立った。 しかし…
山岳地帯の防御補正を舐めていた…。
大会戦において数で劣るペルシア軍に対し、まさかの大敗をきっする。 その後、後方より増援の到着したペルシア軍は圧倒的な兵力を展開するに至り、アラビア帝国はまさに風前の灯火の状況となった。
敗色濃厚な戦況はアラビアの都にも次々と届いた。
そのような弱気でどうなされるのですか!今こそ陛下自ら陣頭に立って兵を鼓舞するべきです!
何ということだ…。あんなに傲慢なくせにこれほどまで打たれ弱いとは…。
翌朝
西暦1128年末。Bakhitiarは突然世を去った。享年56. 死因はかつて患った性病によるものと発表された。 後はまだ年端もいかない少年に過ぎない、長男Manushihrが継いだ。 ペルシアとの大戦の幕引きは、この少年君主に託されることとなった。