11代目当主で、Bavandid朝アラビア帝国2代目皇帝で、スンニ派カリフのMohammedです。
Bavandid本家がアラビア皇帝に即位したことにより、新たにアルメニア王に封じられたアルメニア公のArdavanです。「作戦」を実行したアルメニア公
の孫にあたります。
アルメニア王さん、 これから色々とご指南よろしくお願いします。
元々我々は半ば強引に今の地位に登りつめたからな。恨みを多く買っているのは仕方ない。あと、我々の性質上、宮廷にはゾロアスター教徒の者も多数いる。当然そやつらはスンニ派のお前の父へのopinionは低い。なので暗殺plotが立てられるとその者どもが多く参加したので、暗殺は成功したのだろうな。
僕たちってゾロアスター教を守ってるんですよね?なのに守ってるはずのゾロアスター教徒に裏切られるとか、父上かわいそう…。
こればかりは仕様だからなあ…。きっと、カリフになったことが彼らには裏切りと映ったのだろう。
そうすると、僕は早くゾロアスターの信仰を取り戻さなければなりませんね。
まずは国内諸侯を宥めることだな。ただでさえ我々のことを侵略者だと敵視しているのに、そのうえ代替わりと幼君コンボだからな。
アラビア帝国乗っ取りからまだ月日は経っておらず、Bavandid家の帝国内での権力基盤はまだまだ脆弱なものであった。 アラビア帝国をBavandid色に染め上げることが先代皇帝Aminの役目であったものの、果たせぬままに非業の死を遂げた。 幼君への代替わりに、アラビア帝国は大混乱するかと思われたが、新帝の摂政であるアルメニア王の素早い懐柔策により、諸侯の不穏な動きは表面的には一切起こらなかった。
これはこれはSaffarid朝のGodarz皇帝。本日はどのようなご用件で?
そのことですか。きちんとした説明ができないままで申し訳ありません。ですが、我々のアラビア皇帝への即位には正当性があり…。
ついさっきまで部下だった奴が、アラビア皇帝に即位だ?おまけにカリフだ?展開についていけなくて咎めるのをやめたよ。
君たちの支配している土地の中に、我がペルシア帝国の正当な支配地が結構あるんだよねー。
代替わりと同時に、旧主から宣戦布告される…。
西暦1084年末。Bavandid家が代替わりしてからまだ幾月も経っていない中、これを好機と捉えたSaffarid朝は宣戦布告をした。
でも、Saffarid朝の方が兵力上だし、勝てないんじゃないかな?
なるべく早く動員兵力を一か所に集めるのです。そして、まだ集結しきってない敵軍に襲い掛かりましょう。それで戦勝点をためるのです。
アルメニア王の作戦は的中した。 アラビア軍は素早く1つにまとまると、まだ集結できていないペルシア軍を各個撃破することに成功する。
おらおらおらー。
Sariの戦いにてペルシアの主力軍を破ること成功したアラビア軍は、その勢いのままにペルシア領内の略奪を開始した。
順調に戦は進んでるみたいですね。このまま戦勝点100になるまでSAffarida朝をこらしめてやりましょう。
何事も物事には潮時というものがある。我々が略奪をしている間に、回復した敵軍が再動員され集結しつつあるという報告が来ている。これ以上戦を長引かせ、兵を徒に消耗するのは危険だ。
そういうものですか。アルメニア王さんがそうまでおっしゃるのなら、講和いたしましょう。
かくして西暦1091年初め。アラビア帝国とペルシア帝国の間の6年にもわたる戦争に終止符がうたれた。 この戦争に実質的に勝利したことにより、Bavandid家に対するアラビア諸侯の評価は高まった。 しかし、実質敗北したにも関わらず、Saffarid朝皇帝の権威が揺らぐことは無く、ペルシア帝国での皇帝の力がいかに強大か見せつけられることとなった。 これは後に行われるであろうペルシア侵攻が非常に厳しいものとなることが予想され、必ずしも前途が明るくなったわけではなかった。。
ペルシア皇帝Godarz。死ぬまでアラビア帝国に災厄をもたらし続けることとなる人物…。
おめでとう。これからはお前がこの国の舵をきるんだ。しっかりとやりなさい。
traitはけっこう良いものがそろっているが…。
今回のペルシアとの戦が世に与えた影響は大きい。 この戦は、事実上Saffarid家がBavandidアラビアを認めなていないことを世に知らしめた。 そして、Bavandid家のアラビア皇帝即位への一連の動きが、主君であるSaffarid家の承諾を得ないままに行われていたことが明らかとなったのであった。 このような大それたことをたかが1封臣にすぎないBavandid家が行えるはずがない、きっと裏に主君である強国ペルシアの皇帝が控えているに違いないと考えていた諸勢力も、今回の戦でそれが想像にすぎなかったことがわかると、アラビア帝国に対する領土的野心を露骨に見せるようになる。
西暦1098年末。ペルシア戦役から7年の歳月が流れた。 親政を開始したMohammedは自らの権威を示すために、アラビア帝国の威光を認めず独立を貫いていた、Baladid公爵討伐の軍をおこした。
余はアラビア皇帝であり、カリフである。余の権威を認めず、帝国に仇名す動きを見せるBaladid公爵を許すわけにはいかない!
Baladid公爵の持つ土地は豊かなところが多いので、是非欲しいボソッ。
かつては主従の間柄でしたが、今ではBavandid家はSaffarid家と同じ皇帝に就く家。私の態度は別にでかくはないかと。
…。まあいい。アラビア皇帝よ。貴殿に伝えたいことがあって来た。
貴殿の不当に支配するTabristan公爵領は我がペルシア帝国の正当な領土である。是非返していただきたいと思う。
西暦1101年。Baladid公爵戦も終盤へと差し掛かり、敵領地の占領を行っていたアラビア帝国の横腹を殴る形でSaffarid朝は戦を仕掛けてきた。
結構やばい…。
まあ冷静になろう。まずはBaladid公爵との戦を終わらせよう。Deirの割譲で講和でいいかな?
講和は無事に成立した。Mohammedよ、今、アラビア帝国は幾らの兵を動員できる?
戦続きで諸侯の兵が消耗から回復しておらず、2万ぐらいしか出せません。
いっそのこと負けを認めて、敵の求める土地を渡しちゃいませんか?
それは絶対ならん!!Tabristan地域はBavandid家本貫の地であり、アラビア帝国の首都も存在する場所だ!ここを取られればBavandid家の権威は地に落ちる!
私はカリフですよ?Saffaridの皇帝をカリフの名のもとに破門すれば、敵配下の諸侯が反乱を起こしてくれるのでは!?
…。つまり負けを認めろってことじゃないですか…。さっきそれは絶対ならん!って言ってたのは何だったんですか?
最後まで話を聞け!敵軍が消耗して兵数が減少するのを待つのだ!
都市を包囲すると、包囲イベントで確実に敵の兵は数を減らしていく。もしかしたら調子に乗った敵軍は、強襲を行い、自ら兵を減らしてくれるかもしれない。それを待つのだ!
なるほど。ですが、敵軍が包囲を行わずに、兵をひとかたまりにして我が軍に攻撃を仕掛けてきたら?
4万以上もの大軍がひとかたまりで移動してくるのか。兵の供給制限を確実にオーバーするだろうからどんどん溶けるだろうな。
まあそんなにおだてるなって。そもそも敵がTabristanを攻めに来るなら好都合だ。
あそこは代々のBavandid家の本貫の地にも関わらず、プレイヤーが開発をさぼったからアラビア帝国内で1番発展してない地だからな。兵の供給制限も当然低いから、敵軍は苦しめられることになるぞ(黒笑)
後に第2次ペルシア戦役と呼ばれることになる戦は、序盤はペルシア軍有利に展開した。
それが敵兵の姿は全然見えず、まさに無人の野を行くがごとき状態です。
ペルシア軍4万5000はTabristan地域の大部分を占領し、戦勝点も81パーセントにまで到達していた。
しかし、もはや勝利を確信したペルシア軍が多くの都市を強襲して落としたため、その頃には大きく数を減らしていた。 そこへアラビア軍は襲い掛かった。
それが、我が軍は疲弊と消耗により多く兵を減じており、すでに潰走し始めているので不可能です。
お!そこにいるのはペルシア皇帝Godarzだな!いざ尋常に勝負したまえ!!
アラビア軍は敗走するペルシア軍を容赦なく追撃し、全滅させることに成功した。
我々に戦を仕掛けたことを後悔させてやる。
そして、占領されていたTabristan地域の解放に成功したのであった。
我が軍が解放を行っている横で、配下諸侯が私戦を行っている…。
Tabristan地域の解放をし、戦勝点を大きく引き上げることに成功したアラビア帝国は、西暦1108年6月。ペルシア帝国に白紙和平での講和を持ち掛け、戦は終了することとなった。 2度のSaffarid朝の侵略を退けたMohammedの信望は大きく高まり、人々は彼のことを「正義帝」と称した。
それが、ゾロアスター教徒に教育を任せていた長男がこの度ゾロアスター教に改宗しましてね…。
そうなのですが、そうしたら後継者がスンニ派信仰の次男に変更されてしまいまして…。
何だそんなことか。スンニ派の次男に後継者が変更されたのは、お前がカリフだからだ。
スンニ派の者以外がスンニ派カリフになることはできない。これは仕様だ。
気持ちはわかる。だが、これもBavandid家の悲願のためだ。
この後、Mohammedは、自分のような若輩が偉大なるカリフの地位にあるのは相応しくないと言い、カリフからの退位を宣言した。 突然の宣言に多くの者が驚いたものの、その謙虚な姿勢に配下たちはMohammedを称賛した(主要称号の破壊 opinion+30)。 これによりカリフの座はしばらくの間空位となり、指導者の不在にスンニ派の宗教的権威は大きく減じる。
祝・ウマイヤ家、悲願のカリフへ復位。
大変です!アラビア半島にて税の軽減を求める農民の反乱が起きました!
グサリ。
西暦1110年11月。Mohammedは農民反乱軍との戦にて、流れ矢にあたり戦死した。 その生涯は2度にもわたるSaffarid朝との大戦に象徴されるように、戦に次ぐ戦の日々であった。 あの世では、戦から解放され、安らかな日々を過ごせるであろうことを祈るのみである。 後は長男Bakhitiarが継いだ。
そして…
それは、Bavandid家の当主がゾロアスターの信仰を取り戻したことを意味していた。