何か不穏な言葉が聞こえたような…。あいつは心が弱すぎたのだ。人を統べる器ではなかった。その点、息子のお前は父親に似ず心の臓が太そうだ。期待しているぞ。
そう言っていただけると身の引き締まる思いです。ご期待に沿えるよう頑張ります。
ああそのことですか。父は命を縮めてしまうほど気にしたようですが、私は教えてもらえなくても何とも思いませんよ。成功のため、よろしくお願いします。
このくらいタフであれば「作戦」が成功した後のことも何とか乗り切れるじゃろう(ヒソッ)
いや、お前も当主としてこれから色々と大変なこともあるだろうが、くじけず頑張れ。
それは、Aminが後を継いでから4年の月日が流れた西暦1078年3月末日のことであった。その時歴史が動いた。
「作戦」成功の結果、陛下はこの度、"アラビア帝国皇帝にしてスンニ派カリフに即位"されることとなりました。おめでとうございます。
皇帝への即位により、自動的に我々はSaffarid朝より独立することとなりました。
お喜びください。陛下は皇帝に即位されたのですよ。しかもただの皇帝ではなく、イスラム世界の中心ともいえるアラビア皇帝位に。おまけにカリフにまでなってしまいました。
これによってBavandid家は、名目上ではあれどもイスラム世界の天下人となったのですよ!本当にめでたい!!
状況についていけません!「作戦」っていったい何だったんですか?カリフやらアラビア皇帝やら、超展開すぎて頭が追いつきません!正直、「作戦」とやらを舐めていました…。
まず、お前の祖母さんについて、どういう人物か語らねばなるまい。
そう、かつて腐敗したアッバース家を打倒し、その地位を奪った偉大なる簒奪者の一族だ。
確かイスラム世界を群雄割拠の時代にした元凶の家ですよね?その当時のBavandid家の当主が「日中は断食するのかな?」と感想を述べていたと記録にあります(第6話参照)
うむ。ラマダン家は新たにスンニ派のカリフ兼アラビア皇帝に即位し、分裂したアラビア帝国の再統一に乗り出した。それに目を付けたのがお前の祖父であり、私の兄であるGosthtasbであった。
元々ラマダン家はBavandid家にとって大恩ある家だ。お前の祖父がアルメニア王に即位できたのも、もとはラマダン家のカリフの発令したアルメニアジハードに依るところが大きい(第8話参照)。
ラマダン家に対する大きな借りを感じたお前の祖父は、当時嫁ぎ先が中々見つからなかったカリフの娘を第一夫人として迎え入れた。
そう、お前の祖母だ。そしてそこから生まれたのがお前の父,先代の王だ。
祖母は偉大なる簒奪者の一族であった。まさかこの結婚が歴史を変えるような重要な出来事だったとは…。
お前の父はアラビア皇帝の娘の産んだ子だから、当然アラビア帝位に対するクレームを持っていた。
ということは、そのクレームを用いてラマダン家から地位を奪ったのですか?何だかんだでアラビア帝国は再統一されつつあったはずですし、よく勝てましたね?
話を最後まで聞け。お前の父が持っていたクレームは弱いクレームだ。これは幼君か女性君主に対してのみ使用可能で、普通はほとんど行使できない代物だ。
赤枠に注目。実は先王はアラビア帝位のweak ciaimを持っていた。
5年前の西暦1073年10月。Qatabid家のJibrilという者がラマダン家を打倒し、その地位を簒奪。Qatabid朝の樹立を宣言したのだ。
征服者Jibril
それは聞いたことがあります。何でもJibrilという男はアラビア半島南部の部族の長だったとか。彼は強い野心を持っており、周辺部族を纏め上げた後、ラマダン朝の都を急襲したとか。
そうだ。ラマダン家自体が征服者の王朝だからな。自分がとってかわっても良いのではと考えたのだろう。
企みは成功したものの、1代の梟雄にも大きな誤算があった。それは何かわかるかな?
ご名答。アラビア帝国の諸侯たちの多くは彼の即位を認めなかった。そればかりか多くのものが反旗を翻したのだ。
なるほど。ですが、どうしてラマダン家の時はすんなり即位が認められたのに、彼の時は認められなかったのですか?
いいところに気付いたな。ラマダン家の時も諸侯は楯突いていたよ。それが群雄割拠の時代につながったのだ。
しかし、ラマダン家は地道に諸侯を取り込み、勢力の回復に成功した。しかし、Jibrilはそれができず没落したのだ。
そのまさかだ。我々がお前の父親のクレームを引っ提げて介入したのだ。
ですが、父上のクレームは弱いクレームでしょ?Jibrilは成人している男ですし、行使できないのでは?
Jibrilは即位を認めない勢力との戦で配下の精鋭を失い、弱り果てていた。今しかない…!そう思った我々は「作戦」を開始したのだ。
「お、宣戦布告できるじゃん(ニヤリ)!}
アラビア皇帝の地位はBavandid家にこそ相応しい(震え声)
それで勝って即位することになってこの画像の状態になったわけですか…。
カリフであるぞ!
ですが開戦理由はアラビア帝位を求めることでしょう?どうしてカリフ位まで奪ってしまってるんです…。
ゾロアスター教の保護を宣言し、当主のゾロアスター教への改宗も考えているBavndid家がスンニ派のカリフになるとかたまげたなあ。
西暦1078年。アルメニア王Aminはアラビア帝位を簒奪し、ここにBavandid朝アラビア帝国が誕生したのであった。 同時にAminはカリフへの即位を宣言し、Bavandid家は崇高なるカリフを排出する家柄となったのであった。 しかし、現在の研究ではBavandid家にムスリムの信仰とカリフの使命に対する尊敬の念は一切無く、あくまでも成り行き上の即位であったことが明らかとなっている。 故に、現在ではBavandid家がカリフの座にあった時期を「偽カリフ時代」と称し、ムスリムの信徒の間では、あの時代は暗黒時代だったと、半ば自嘲気味に語られている。
Bavandid朝アラビア帝国の勢力(黒枠)
西暦1084年始め。Aminは国内巡察の途上にあった。 カリフ兼アラビア皇帝に即位して6年。国内の反乱鎮圧と慰撫に忙殺される日々であった。
アラビア帝国より離脱した奴らも呼び掛けには応じず、独立を決め込んでいる。
国内を落ち着かせるために諸侯の元を行き来せねばならないのは本当辛い…。
この先に空き家がございます。そこで休まれてはいかがでしょう?
ドッカ~ン
西暦1084年初。Aminは巡察の途上で何者かによって暗殺された。享年34。 後は長男Mohammedが継いだ。 アラビア帝国の支配者となったBavandid家。しかし、それはこれまで以上の苦難の始まりであった。 内には、Bavandid家のことを認めない昔からのアラビア諸侯が、 外には、一方的なBavandid家の独立に激怒するSaffarid朝と再興を遂げ失地の回復を目指すビザンツ帝国が、 隙あらばBavandid家を追い落としてやろうと画策しており、まさに内憂外患の状況にあった。 この四面楚歌の中、Bavandid家はどう立ち回るのか? そしてペルシア帝国を再興できるのか?