現在Bavandid家はTabristan公爵の地位にあり、Saffarid朝に仕えています。
Karen家から独立した際に条件を満たしていたのでなっておきました。それを言うなら叔父上もいつのまにか伯爵になっていますね
そうでしたね。次に現在のSaffarid朝の勢力図を見てください。
皇帝に即位してないから帝国を称していないだけで実質ペルシア帝国ですね
何だ、お前の親父の夢はSaffarid家が果たしてくれたんだな。これからは新たなペルシア帝国のもとで平和を満喫していこう
何を言ってるんですか、ペルシア帝国を再興するのはあくまでも我がBavandid家でなくてはならないに決まってるでしょう!、
ササン朝の流れを汲むBavandid家こそペルシア皇帝にふさわしいのです
Shervinの即位時の状況。臆病で不節制で嫉妬深い人物に育ってしまった
ちょとこれは人としてアカンところが多いなあ。少しは改めようとは思わないのかね?
こればかりは仕方ないでしょう!プレイしている人は基本的に後継者の教育は自分ではやらない主義なんですから。教育をしたAIに言ってください!
西暦885年1月某日。Shervinが父の後を継いでからすでに数か月が過ぎていた。この日Shervinは嫁を迎えた。相手はShervinの叔父Sorkhabの娘Mahodokhtであった。
しかし複雑だなぁ。これからお前は私の実の甥であり義理の息子になるのか
このように和気藹藹と婚礼は行われたのであった。
Saffarid朝の王Yaqubは非常に優れた人物でした。彼は即位するとともに積極的に対外拡張を行い遂にはイラン高原統一という偉業を成し遂げたのです。 ペルシアの唯一の王となった彼はその矛先をインドに向けます。
Bavandid家の現在の主君であるYaqub。軍事能力が非常に高く、まさに乱世の英雄である。
ええ。今回はHabbari朝に攻められているShahi朝を救援するためのものです
つい数か月前まで我々がShahi朝を攻めていたのに今度は助けに行くのか(困惑)
Shahi朝の土地は俺のものだからお前(Habbari朝)には渡さないということではないでしょうか
積極的にインド遠征を行いインド北部での影響力を強めつつあったYaqubですが、そんな彼にも頭痛の種がありました。それは国内でのゾロアスター教徒の反乱です。 ゾロアスター教徒は頻繁に蜂起し、Yaqubを悩ませました。
Yaqub「またお前らかいい加減にしろ」
元々Yaqubは他宗教に対して寛容な考えを持っていた。能力さえあれば信仰に関わりなく取り立てた。 しかし相次ぐゾロアスター教徒の反乱はそんな王の考えを改めさせるには十分すぎるぐらいの薬であった。 Yaqubはある決断を下す
平気ですよ、何せ王の私に対するopinionは100ですから。当分大丈夫そうなので王のもとに張り付けていた外交官を適当な敵領地の請求権の捏造に向かわせてるくらい余裕です。
大丈夫ですよ。上のナレーションで言ってた王の決断とはきっと他宗教をさらに優遇して反乱を企む者たちを懐柔していくとかでしょう
数日後
まだ大丈夫だと思ってたのに急に王のopinionがマイナスまで下がり、こちらが対応するよりも早く王から公爵位を剥奪するという通達が来ました
たった一瞬で領地1つの何の力もない弱小伯爵に転落してしまった
叔父上。これから同挌の伯爵として、改めてよろしくお願いします
フラグはきちんと回収されたわけだな。それと同時にペルシア帝国再興の夢も遠のいたと…。
ゾロアスター教徒の相次ぐ反乱はペルシア王Yaqubにある決断をさせた。 それが国内唯一のゾロアスター教の信仰者であるBavandid家の勢力を削ぐことであった。 これによりBavandid家当主Shervinは1伯爵にまで転落したのであった。時に西暦にして895年の出来事であった。
Shervinたちの新たな直属の上司Farhad。王の次男にして後に王位を継ぐこととなる。
王の息子といえどもその直轄地は1伯領のみ。その権力基盤は極めて脆弱だな。
我々が団結すれば余裕で倒せる相手ではありますね。あ、何か通達が来ました。
「(意訳)家令に任命してあげるから反乱起こさないでね」
懐柔を図ってきましたね。ま時期王の機嫌を損ねたくないのでここは喜んで引き受けておくことにしましょう
ところで叔父上。私は地道に勢力の回復に努めていきたいと思います
現在王権が中規模のため国内での勢力拡大は無理なので、隣のSamanid朝を攻めようと思います
成程。しかしたかが1伯爵ごときがとてもではないが勝てる相手とは思えないのだが
現在Samanid朝はクマン族に攻められ軍が壊滅状態です。攻めるなら正に今しかありません。
王の過酷な処置により牙を完全に抜かれたと思われたBavandid家は早くも復活のために行動を開始した。 西暦895年10月。ShervinはSamanid領Herat州の領有権を主張し、Samanid朝に宣戦を布告した。
クマン族の大規模な侵攻によりほぼ壊滅状態であったSamanid朝にこれに抗する術はなく、Herat州はBavandid家に無事に割譲された。
西暦898年。王Yaqubが死去した。これにより、Bavandid家の上司であるFarhadが王に即位した。
Farhadの即位により、Shervinの上司も変わることになる。
Shervinの叔父Sorkhabの息子Karen.。いつのまにかスンニ派に改宗していた。
喜べ。Tabristan公爵の地位がBavndid家に戻ってきたぞ
叔父上、いつの間に亡くなられていたのですね。安らかにお眠りください。
私の死などどうでもいい。それよりもBavandid家が復権したんだぞ!
その後Shervinは悶々としたまま残りの人生を過ごした。嫁に暗殺されそうになったり、浮気をしてその旦那から報復を受け重傷を負ったりと色々なことがあったがここでは紹介程度に留めておく。 西暦910年12月。Shervinは戦場で受けた傷が元で世を去った。享年45。 末子相続制によりその地位は3男Fazadに引き継がれた。
Tabristan公爵としてTabristan,Gurgan,Mazandaran(封臣)の3州を支配
↓
Tbristan公爵位とGurgan州を剥奪されTabristan伯爵に降格
↓
Samanid朝との戦に勝利しHerat州を獲得。Tabristan,Heratの2州を治める伯爵になる
す、全ては戦略とか方針とかを深く考えずに行き当たりばったりなプレイをしたプレイヤーの責任ですよ!
ここから挽回して見せますよ!このゲームは今回のようなままならない状況に陥ってから地道に立て直していく過程こそが真骨頂ですから!
あ、諦めたらそこで試合は終了ですよ、最後まであきらめずに闘った者にのみ神は微笑むのですから。大丈夫です必ず機会は訪れます!
かくしてBavandid家のペルシア帝国再興への挑戦は続くのであった…。