1353年からのBavandid家の100年間は常にヨーロッパ世界との緊張の歴史であった。 その原因は、歴代の皇帝が西への進出を積極的に進めたことにあるだろう。
Bavandid家の西方進出が大きな成果となって現れたのが、1438年のコンスタンティノプール陥落であった。
一時期神聖ローマ皇帝が帝位を兼ねていた時期があったものの(前話参照)、常にキリスト教世界に君臨し続けた偉大なるローマ・ビザンツ帝国の、その象徴ともいえる帝都が異教徒の手に奪われたという事実は世界中に大きな衝撃を投げかけた。
コンスタンティノプールの陥落により、ビザンツ皇帝はギリシアに逃れ西のカトリック世界に救援を求めた。 しかし、ウマイヤ朝ヒスパニア帝国とのアキテーヌを巡る一連の戦役で手一杯であった当時のカトリック世界に援軍を送る余裕などなく、ビザンツ皇帝の悲痛の求めは黙殺されることとなる。
孤立無援の状況の中、それでもビザンツ帝国は迫りくる圧倒的な数のペルシア軍に懸命に抵抗した。 しかしながら抵抗むなしく、1439年のアテネ陥落で遂にBavandid家の軍門に屈することとなった。 そして、1440年6月。ペルシアとビザンツの間で1つの条約が結ばれた。 締結の行われた場所から「コンスタンティノプール条約」と呼ばれることとなるこの条約により、ビザンツ帝国はペルシア帝国の保護国となることが決まり、ビザンツ皇帝はペルシア皇帝に対し臣下の礼をとることとなったのであった。
Zand帝がSaoshyantとなりBavandid家が名実共にゾロアスター世界の盟主となってから100年の時が流れました。
帝国はこの100年の間も飽くなき欲望に衝き動かされて、対外侵略を続けました。
その結果、かつてはキリスト教徒やイスラム教徒が大多数を占めていたアナトリアや中東は、今や完全にゾロアスター教の土地となりました。
600年前、当時の当主であったRostamが抱いた大望は現実のものとなりました。
当時ゾロアスター教が存亡の危機にあったことなど、今では誰も信じはしないでしょう。
帝国はかつて経験したことがないぐらいの繁栄を遂げ、首都バグダッドは世界の中心と称されるほどにまで発展しました。
願わくば私の愛するこの帝国が衰えていくのを見ることなくこの世を去りたいものです。
1455年。Bavandid帝国は自国領内を通過する異教徒の商人への通行税を大きく引き上げることを発表した。 これに、当時インド交易を独占していたイタリアの商人たちは大きな打撃を受けることとなった。 また、当時ヨーロッパ世界で生活の必需品となりつつあった、インドからもたらされる香辛料も、これにより供給が途絶えがちとなる。 通行税自体は数年後には引き下げら香辛料の供給も復活したものの、これ以降Bavandid帝国はインド交易をヨーロッパ世界への外交カードとして巧みに利用することとなる。
アジアとの交易路を牛耳るBavandid帝国。
インドとの交易路をBavandid帝国に握られている今の状況は非常にまずい。早く新しいインドとの交易の道を見つけるべきだ。 このような声がカトリック世界では大きくなっていった。
ジェノヴァ出身の商人クリストファー・コロンブスがある偉大な「航海案」を携えて、当時内乱を平定し終えたばかりの新興国,アイルランド王国を訪れたのはそのような状況の中のことであった。
新興国アイルランド。
世はまさに「大航海時代」を迎えようとしていた。
最後にゲーム終了時点での世界情勢の図等を載せていきます。
・西欧
・東欧及び北欧
・中央アジア
・インド
・中東
・各国の兵力
・宗教権威
これにて「ペルシア奮闘記」終了です。途中放置してしまった時期もありましたが、何とか完結させることができました。 今まで読んでくださった皆さん、ありがとうございました。