ガエラはブルターニュ女王の地位に就いた。
類い稀な外交能力を生かし領土の拡大に邁進する。
先の戦争が始まる少し前の1117年11月長男ネヴェンとイングランド王女キネブルグの間に息子デニールが生まれた。
ブルトン人だがケルト顔でなくゲルマン顔(ノーマル)になってしまった。残念。
母親からグレートブリテン島内での領土を受け継ぐことになれば、当家飛躍のカギとなる子である。
マンスター王に勝利しブルターニュ王に即位したのと同じ1118年8月、その興奮も冷めやらぬ中名宰相ダンバーから報告が届く。
タラ王領キルデアへの請求権の捏造に成功し、即時行使する。
前回の戦闘は半年という短期間で終わった為、封臣の厭戦気分もあまり大きくない。
タラ王と言えば、昔からアイルランドの上王とされる地位よ。相手にとって不足はないわ。
実情はただのミース公爵 現タラ王のロルカンは外交に優れた君主 ダブリンを本拠としている
相手はマンスター王と同じく2州の支配者であり、前回の戦争の状況からも楽勝と感じていた。 が、順調に進みすぎて油断があったのだろうか。思わぬ苦戦を強いられることになる。
ブルターニュ軍は大陸側からの兵3000を船に乗せ、海岸からダブリンに上陸、包囲を始める。 また、アイルランド島の兵1500はキルデアに向かう。
ところがキルデアを包囲し始めた矢先に、南隣のオッソリー伯の軍勢1200が現れた。 オッソリー伯もキルデアへのクレームを持っており、同時期に開戦したようだ。 直接の敵ではなかったが、目標の取り合いとなり激戦となった。
犠牲を払いながらもオッソリー伯軍を撃退したが、今度はダブリンを包囲中の軍勢(司令官はマルシグリオ(軍事16))に 3000を超える男たちが襲いかかった。
確認しなかったのが悪いのだが、タラ王は北欧のハルケル王と同盟を結んでおり、危機に際して軍の派遣を依頼したらしい。
ノルド人よりはケルト人に取られた方がましでしょ
大苦戦を強いられたが、キルデアからの援軍が間に合い撃退することに成功した。
ただしこの2つの戦闘によりブルターニュ王国軍は兵士の数を減らし、キルデア、ダブリン2州を同時に攻略することが不可能になった。
この戦争の間に次男ジャオウワと父の未亡人エグウィンを結婚させた。 ちゃんと確認したらエグウィンはこのままにしておくには惜しい能力の持ち主だった。(24/9/10/14/14の〔http://ck2.paradwiki.org/index.php?plugin=ref&page=Traits&src=genius.png天才〕持ち)
1120年7月
1年以内の終結を見込んでいた戦争であったが、開戦から間もなく2年が経とうとしていた1120年7月、 ようやくタラ王ロルカンは降伏し、キルデアの地はガエラ1世のものとなった。
だがこれで戦争は終わらなかった。オッソリー女伯マイアはキルデアへのクレーム戦を続けていたのだ。 既に軍勢を起こす力はないようだが降伏する気配はないので、オッソリーへの進軍が必要となる。
なんでタラ王とハルケル王が相手についてんの? お前ら負けたじゃん
戦力的には全くの掃討戦で、マイアが諦めるまでの戦いのはずだったが…
王配ボニファチオが不具になり死亡 手足ちぎれちゃったんだろうか((;゚Д゚))ガクガクブルブル
娘のアグネスがコルヌアイユ伯を継いだ。
1121年7月
オッソリー女伯マイアがようやく降伏する。得るものが無い戦いは虚しいばかり。
1121年8月
先達ての戦争にて夫が死んでしまったので、再婚をしなればならない。
年齢的にも子供はできないだろうが、CK2システム上配偶者の能力の半分が指導者の能力に加えられるため結婚は必須である。
特に陰謀値の足りない指導者は簡単に暗殺されてしまうので注意が必要だ。
後継者の息子ネヴェンの妻にキネブルグを迎えたのも、血筋もさることながら陰謀値が高いのも大きかった。
ネヴェン(陰謀0) キネブルグ(陰謀18)
なんとなくイタリア語は大阪弁のイメージ。ラテン語は京都
3人目のイタリア人夫テダルドと結婚する。 階級にかなり差があるので威信に大きなマイナスがあるが、既に有り余るほどたまっている為問題無い。
いつまでたってもMediterranean Portraitsに慣れない
君主の領土のうち直轄領として管理出来る数に限りがあるのは皆さんご存じの通り。 どこかのパッチの時点でその数に大幅な下方修正が加えられた。 昔は伯爵でも5つ位、公爵なら7、8つも可能だったが、特に公爵の時点での制限が大きくなり、 ガエラ(管理8)ではブルターニュ公爵としては直轄3が限界だった。
前からですけど作者はプロヴィンスを''州''と訳してます 違和感あったらゴメンね
現在の王国は全領土でブルターニュに6州、アイルランドに3州の計9州を保有している。 そのうち直轄地は各3州と1州の計4州である。
直轄地は力です。多いに越したことはありません。家臣から奪うのも一つの手ですよ。
簡単に称号を奪うと言っても、はいそうですかと差し出すやつは多くない。
またそんな横暴なことをすると他の家臣が動揺し、主君に対して疑心暗鬼になってしまう。
当家初代の頃のブルターニュ公爵レンヌ家がそうだった。
やっぱり穏便に継承されるのが一番かしらね。ん…そういえば…
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ん…?(つд⊂)ゴシゴシ
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跡継ぎがおらず一族も残っていなかった為、デズモンドとソーモンドは主君ガエラ女王の管理下に入ることになった。
尊い犠牲により直轄領が6つまで増えたので、得たばかりのキルデアを長男のネヴェンに与え伯爵とする。 キルデアは当家の拡張政策の最前線であり、活躍を期待したいところだ。
成人した息子は領地を与えないと月の威信増減値に一人-0.1の悪影響を与える。 国内の状況にもよるが早めに与えたいところ。当家ではもう一人部屋住みがいるので-0.1ペナがまだある。
相続制によって違うのかな?
キルデア戦役の最中、教皇ドヌス2世は異教徒に国土を荒らされているハンガリーを救う為、 エルサレムに続き2回目の十字軍を呼び掛けた。
聖イシュトヴァーンの王冠を取り戻せ!!
ハンガリーとは
マジャールの首長イシュトヴァーンが西暦1000年にハンガリー王として戴冠し、ハンガリー王国が成立した。
イシュトヴァーンは領内の教会や修道院を整備する等マジャール人たちのキリスト教化に貢献した。
カトリック教会にとってハンガリーは100年ほど前に教圏に入った新しい地域なのだ。
戦後処理をあわただしく終わらせ、ブルターニュ王国も信仰を守る戦いへの参加を申し出た。
戦疲れであまり兵は揃えられないわ。ま、参加することに意義があるんだから別に少なくていいわよ。
派遣されることになったのはブルターニュ本国から動員の2400の兵 指揮官は有能な将軍のマルシグリオとウルバノが選ばれた。
将軍のマルシグリオとウルバノは共に前王配のボニファチオの一族のフィエスキ家の出身。 政争に敗れて頼ってきたのか、ブルターニュにはフィエスキ家の人物が沢山いる。
あとアンタたちも行ってらっしゃい。他に取り柄もないんだから。
エーッ遠いよ、(´д`)ママン… ←〔http://ck2.paradwiki.org/index.php?plugin=ref&page=Traits&src=content.png満足〕
ヤッタ!(`・ω・´)マカセロ!←〔http://ck2.paradwiki.org/index.php?plugin=ref&page=Traits&src=zealous.png熱狂的〕
2人の王子ネヴェンとジャオウワも人生経験を積むため、ハンガリーに向けて旅立つこととなった。
発令後しばらくでドヌス2世は身罷ってしまう。次の教皇にはグレゴリウス7世が選ばれ、その遺志を継いだ。
ジャオウワとエグウィンの間に息子のフィアーンヴー?が生まれる。当家始まって以来の〔http://ck2.paradwiki.org/index.php?plugin=ref&page=Traits&src=genius.png天才〕児である。
全く読み方が分からん。今までもたいがい適当だけど
イングランド王は2万近い軍を用意したようだ 気合入りすぎ
出発した我が軍は船で地中海を進み、クロアチアから上陸してハンガリーに向かう。
そのカツラくれ
ハンガリー領内に到着したが、周りには敵も味方もあまりいない。敵の中心部の平原地帯に主戦場が移っているのだろうか。 2400しかいない軍では敵の野戦軍と遭遇すると危険なので、これは望ましい状態だと言える。
ガラ空きの土地を占領にかかったその頃…
本当に優秀なダンバー大臣
大義よりも実利、信仰よりも小麦、十字軍から早々に脱退し軍勢を取って返す。 さすがに遠いので帰り着くまでにも時間がかかった。
〔http://ck2.paradwiki.org/index.php?plugin=ref&page=Traits&src=crusader.png十字軍〕の武名を貰ってご満悦のネヴェン氏
1123年4月
オッソリー女伯マイアに対して宣戦布告。 前回の戦いは防御側だったので10年間の停戦期間は適用されない。 相手はたった1州のみなので今度こそは簡単な戦いになるだろう。
オッソリー女伯はオバちゃんです
以下、次回!