ワシはバルダリッチ。王の寝所を監視させていた部下より、先ほど王が死んだという報告が届いた。フハハハハ、男爵上がりのエメリッチよ、しょせん貴様には王など荷が重すぎたのじゃ。 これで、晴れてワシが王じゃ。法によってこれは決まっておることなのだから誰も異議は挟めぬぞ。たとえそれが皇帝であってもだ。
これがワシ。告げ口王と謂れのない中傷を受けておるが、気にすることはない。
先王エメリッチの始めていたアプリア女公爵カンサ討伐に赴いていた者たちは、先王の死の知らせを受けて戦を中止し、アールガウに舞い戻ってきおった。
「エメリッチ殿の死、あまりにも不自然ではございませぬか!?」
戻ってくるやいなやそう強く主張したのはクリストファーの野郎であった。
グリソンス伯クリストファー。ハプスブルグ家の初代シチリア王ワーラムの弟。シチリア王位の継承法の件以来、ワシとことごとく対立しおる。
「不自然とはどういうことかな、クリストファー?」
ワシは満面の笑みを浮かべながら答える。
「エメリッチ王は我々が兵を率い出発する時、とても元気であられました。なのに急に亡くなられるなど、信じられません。」
「王は高齢じゃった。歳を取ると身体も弱る。ちょっとした風邪が命に危険を及ぼすこともあるんじゃ。」
「そうはおっしゃいますが、王はここ1月ほど人を近づけず姿を現されなかったとか。何故なのでしょうか?」
「だから王は高齢だと言ったであろう。体調を崩され寝込まれていたのだ。」
「それで、お亡くなりになられたと・・・」
「そうじゃ、高齢の王には病に打ち勝つ力は残念ながらなかったのじゃ。」
クリストファーの顔に笑みが浮かんでおる。ワシは不安になった。
「王の寝所に人を誰も近づけなかったこと、お認めになるのですね?」
クリストファーの一言にワシはギクリとする。
「あ、ああ。じゃが、それは体調を崩された王がさらなる病をうつされることを防ぐためであり、これは王の意向であって・・」
「それで医師すら呼ばなかったと?ああ、そうそう。王のお世話をする者は、偶然にも全員貴方の領地ネウチャテル出身者であったそうですなあ。」
こいつ、何でそんなことまで知っておる。
「何で知っている?、という表情をされておりますな。私にも知らせをくれる者がおりましてな。」
しまった、ワシの配下にクリストファーに通じてる者がいたのか!
「ともかく、これで次の王は貴方ですな。祝福しますよ。もっとも、先王を殺めた者にその資格があるかはいささか疑問ですがな。」
クリストファーの勝ち誇った表情をワシは憎悪の目で睨むことしかできなかった。。
「討伐軍の諸将よ、なにゆえ戦を放り出して戻ってこられた!」
ワシがクリストファーに押されて困り果てているその時、背後より甲高い声がした。 我が弟、トーマスであった。
弟トーマス。ワシと違って誰からも愛された人気者。
「こ、これはトーマス殿。ですが、王がお亡くなりになられたのなら戦を中止し、戻らざるを得ないではないですか。」
トーマスの予期せぬ登場に、さっきまで余裕の笑みを浮かべていたクリストファーが狼狽の表情に変わる。
「黙らっしゃい!」
トーマスの有無を言わせぬ大声に、クリストファーは顔をそむける。
「アプリア公爵討伐は、先王の始められた、言わば先王の遺志ともいえる重要な戦。それを放置するとは、先王の命に背くも同じ!兄上!!」
「な、何じゃ?」
「すぐに諸将に討伐に赴くように、新王としての命をお出しください。」
「う、うむ。シチリア王として命じる。諸将は逆賊アプリア公爵討伐にすぐに赴くように。」
ワシの言葉にクリストファーたちは力なくうなずいた。
「助かった、礼を言うぞ、トーマス。」
ワシはトーマスに頭を下げる。
「勘違いするな、別に兄上を助けるためにああ言ったのではない。全ては国の安定のためだ。」
トーマスはワシを嫌悪するかのような表情で睨み付ける。
「俺はあんたが大嫌いだ。さっさと死んでくれた方がハプスブルグ家のためになるんだがな。」
そう言うとトーマスは部屋より出ていった。1人取り残されたワシは高らかに笑った。 ワシもお前が大嫌いだよ、トーマス。
アプリア公爵討伐の戦は無事に成功した。件の女公爵はシチリア島のシラクサの地を没収され、ワシへの謝罪に赴くことを強いられた。
「この度は申し訳ありませんでした。」
女公爵がワシに頭を下げている。何とも愉快な光景であろうか。
アプリア女公爵カンサ。かつてはシチリア王位にあった。
「今回だけは特別に許してやろう。」
ワシが満足気に発する言葉を聞いて、女公爵が屈辱で体を震わせている。 これもまた、非常に気分の良い光景だ。
アプリア公爵の乱を鎮めたワシの名声は帝国内で大きく高まることとなった。
「ハプスブルグのシチリア王は敵にすると恐ろしい」
王になる以前から培ってきた悪名、そして今回のアプリア公爵に対する容赦のない仕置きの結果、このような声が強まってくるのも当然じゃろう。 帝国諸侯の中にはワシの機嫌を取ろうとする者が多くなっていった。
このような流れを、ワシを警戒する皇帝も無視できなかった。
ワシは新たに帝国元帥に任命され、帝国の兵権を握ることとなったのだ。 ハプスブルグ家の帝国での地位は確固たるものになりつつあった。
1199年。長年連れ添った最愛の妻フレデリカが世を去った。
妻の死はとても悲しい。だが、前に進まねばならない。大望のために多くのものを犠牲にしてきたワシには、今回の妻の死を帝国内での地位をさらに高めるために利用することに微塵も迷いはない。
妻の葬儀が済むと、ワシは新たにアキテーヌ王の妹アデルトルディスを妻に迎えた。
新たな妻。
アキテーヌ王国は当時南仏一帯に勢力を広げており、帝国も無視できないほどの力を得ていた。 新進気鋭のこの王国と婚姻関係を結ぶことは皇帝の権力拡大の牽制になるだろうし、ハプスブルグ家の帝国内の地位も一層高いものになるはずだ。
「カラブリア公ヘルベルト・オードブィルには謀反の疑いあり。疑いを晴らしたければカラブリア公位を返上して二心無きことを示せ。」
1200年8月。ワシは遂にシチリア国内の大掃除に打って出た。オードブィル一族最大の勢力カラブリア公の粛清に乗り出したのだ。
カラブリア公は当然、拒否。かくしてシチリアに巣食う旧王家オードブィル家の粛清が始まったのだ。
「今回の件はあまりにも強引で非道だ。いったいカラブリア公に何の罪があるのか。」
このような声は小さなものに留まった。ワシに反発していたいわば抵抗勢力はその力を大きく落としていたからだ。 理由は2つあった。 まず、抵抗勢力の旗頭になり得る存在である我が弟トーマスは重い病に臥せっていた。これでは御輿にすることはできない。
1年後の1201年、トーマスは世を去る。
また、抵抗勢力の中心的存在であるクリストファーは、かつて戦場で受けた古傷が悪化し、自身の領地から動くことができないでいる。当然、ワシに文句を言いに来ることもできない。
6年後の1206年、クリストファーは完治することなく世を去った。
ワシを妨げる者などもういないのだ。
シチリアを蹂躙するバルダリッチの軍。
かつてのワーラム・ハプスブルグによる簒奪戦争の大火から立ち直りつつあったシチリア諸都市は、悪王によって 徹底的に破壊された。
かくして、圧倒的なバルダリッチの軍の前にカラブリア公は敗れ投獄されることになったのだ。
「逆賊ヘルベルト・オードブィルはカラブリア公位の剥奪及び領内よりの追放とする。」
ワシの処分は甘くはない。この機会にハプスブルグ家によるシチリア統治を盤石なものにするのだ。
「オードブィル家諸侯に告ぐ。貴様らはカラブリア公の乱を陰で助けていたという疑惑がもたれている。疑惑を晴らしたいのであれば領地を全て差し出せ。」
ワシの目が黒いうちにオードブィル家をシチリアより一掃してしまおう。え、そのような非道なことをすると他の諸侯から反発を受けるって? 大丈夫じゃ、もうとっくの昔に嫌われておるからな。今更そのような些細な事、気にするに及ばぬ。
驚くことにオードブィル家の者たちは全員応じたよ。誰か1人ぐらい拒否して乱を起こすかと思ったが、そのような気骨ある者は彼の家にはおらぬのか、情けない。 ともかく、これによってシチリア国内よりオードブィル家は一掃され、ハプスブルグが取って代わることに成功したわけじゃ。
1205年9月。国内を安定させたワシは外に目を向けることにした。 敵はアマルフィ公国。
北アフリカにまで勢力を広げている強国だ。彼らと我々は利害関係で大きく対立しておる。いつかは倒さねばならぬ相手なのじゃ。
戦が始まった。
「義父上。」
突然声がし、目を開く。視界には我が娘婿ハンベルトの姿があった。
バルダリッチの娘婿「賢」公ハンベルト。オードブィル家粛清後、新たにカラブリア公に封じられた。
「義父上は政務をされている途中にお倒れになられたのです。」
どうやらワシは今まで、倒れて意識を失っていたらしい。
「ハンベルトよ、アマルフィ公との戦はどうなっておる?」
「ご安心ください。順調に敵軍を破っておりますよ。」
「そうか。それは良かった。」
「今は養生に努めてください。義父上ももう歳なのですから。」
「言わんでもわかっておるわい。」
ふう、やっと1人になれたか。相変わらず口うるさいが、よく気にかけてくれる優しき娘婿じゃ。ワシには本当にもったいないわい。 どうやら迎えが来たようじゃ。ワシは十分好き勝手に生き抜いた。 果たして主がワシを許してくれるかはわからないが、まあいい。我が生涯に一片の悔いなし。
1207年8月。ハプスブルグ家の3代目シチリア王バルダリッチは多くの者に憎まれながら世を去った。 享年69。後は年長者相続により一族のマグヌスが継いだ。