私はウェルナー。スイスのアールガウを治める領主である。 父の代よりこの地を領している。 今日は私が日々起きたことについて貴方らに語っていきたいと思う。
これが私。自分で言うのもなんだが、不可の無い能力である。
妻のレギンリンド。庶民の出である。密偵頭になりたいらしいがなにを企んでるのやら・・・・。
我が主君、神聖ローマ皇帝ハインリヒ3世は大のフランス狂いであった。
我が主君。皇帝ハインリヒ3世。
1067年のこの年にもフランス遠征を実行に移された。
フランスはフィリップ王の治世であるが、未だ幼君。国内では大諸侯が幅を利かせ、まとまりに欠けている。 当然皇帝の遠征軍を阻む力などなく、遠征は無事に成功したのであった。実にめでたい・・・。
1068年末。皇帝は自らの帝権を引き上げることを宣言した。
皇帝の強引な宣言に多くの諸侯が反発した。反皇帝という共通の考えのもと、派閥活動も一時期活発化した。
しかし、これらの諸侯の動きはことごとく皇帝によって抑えられることとなる。
派閥活動を取りやめる諸侯の動き。
裏で皇帝と諸侯の間にどのようなやり取りがあったのかはわからない。 しかしながら皇帝の手腕によって国内は表面上は落ち着きを取り戻したことも事実である。
あれは1072年の5月のことだったか。私の元に驚くべき知らせが届いた。
妻が懐妊したというのだ。めでたい知らせじゃないかって?私には信じられない気持ちでいっぱいだよ。 だって、妻は当時45歳だぜ?この年齢でまだ種があるとは思わんかったよ。
妻は元気な男の子を産んだ。母子ともに健康だ。 最近夜の営みはあまりなかったのに、まさか浮気してつくった子なのでは?と少し疑ってみたものの、よくよく考えてみればこんな年増の古女房に手を出す物好きなどいるわけないということに気付き、自分の子だと信じることにした。 男の子には私と同じウェルナーという名前をつけた。
話は少し前後するが、1068年の11月の末のことであったろうか。皇帝が上ブルグンド公爵領の創設を宣言された。
これにより、我が領地アールガウは上ブルグンド公爵の管轄下に入ったのであった。 上ブルグンド公爵として中央からどのような人物が派遣されてくるのだろうか・・。田舎の一領主にしか過ぎない私は不安で一杯であった。 しかし、私の不安をよそに、皇帝は当面は上ブルグンド公爵位を自らが兼任することを発表した。 私は安堵するとともに、可能ならば私が公爵になりたいと思ったものだよ。 だって、中央にいる皇帝よりも地域の実情を理解している地元の人物が公爵になった方が統治は上手くいくだろ?
私の気心のおける部下たちは皇帝にそのことを奏上してみてはどうかと提案してくれた。さすがにそれは不遜であると断ったよ。 しかし、一度夢見ると思いは日増しに強まるもの。 公爵になりたいという願望を抑えることはできず、1072年9月末、私は上ブルグンド公爵位を求める奏上文を都へ赴く使者に託した。 10月初めに皇帝より返答が届いた。
「提案は拒否する。」たったこれだけの返答であった。 田舎の一伯爵に過ぎない身分のものが畏れ多くも皇帝の方針に反する提案を行ったのだ。当然、厳罰を覚悟した。 しかしながら特にお咎めはなかったのであった。
お咎めはなかったものの、皇帝の気が変わっていつ処罰されるかはわからない。 この時期の私は皇帝の幻影におびえながら、半ば自暴自棄気味に趣味である狩猟を繰り返したものだ。
私の奏上が拒絶されてから1年が過ぎたある日、帝都より使者が来た。皇帝の命を預かった勅使であるという。 ついにこの時が来たか…。覚悟はとうにできていたつもりであったが、いざ現実のものになると恐怖を感じずにはいられなかった。 震えを隠すことのできない私に、勅使は皇帝の言葉を伝えた。
「アールガウ伯ウェルナーを上ブルグンド公爵に任命する。」
私はすぐには勅使の言ってる事を理解することはできなかった。 しかし、口からは自然と言葉が吐き出された。
「謹んでお受けいたします。」
皇帝の心境にどのような変化があったのかは私にはわからない。 しかし、私が上ブルグンド公爵になったのは紛れもなき事実だ。
浮かれに浮かれた私はかねてより恋心を抱いていた廷臣の女に求愛した。
しかし、それがけんもほろほろに拒絶されたのもまた、紛れもなき事実なのであった。
さてさて夜も深けてきたので今日の話はここまでとしよう。 次回は私が公爵になってからの話をいたすとしようか。