AAR/シーア派は砕けない

Caliph Yahya②(897~902)

波紋

イスラム歴275(897)年1月。イスラム世界に衝撃が走った。Aghlabid朝アフリカ王国,アッバース朝より独立して以来イタリア半島のキリスト教連合軍と互角に渡り合ってきた強国が瞬く間のうちに瓦解したのだ。イドリース朝,カリフを称するなど小国のくせに生意気なと警戒と侮蔑の目で見られてきたシーア派の王国によって北アフリカの強国が終焉に導かれたという事実に、イスラム世界の君主たちの目の色は変わった。「イドリースの王の目的はアフリカ王国にしたように我が国を侵略することではないか?」各勢力はそう疑念を抱くようになり、イドリース朝の動向をこれまで以上に注視することとなる。

戦後処理

旧アフリカ王国の都tunisに入城したYahyaはアフリカ王国全域に布令を出した。

アフリカ王に虐げられし民よ
もう安心せよ。暴君は去った。
余と余の兵は解放者である。
我々はそなたたちに危害を加えるつもりはない。
余はそなたたちの生命と財産を保障しよう。

同時に、アフリカ王に従っていた諸侯に対しても通達する。

シーア派に改宗さえすれば、本領は安堵し3年間の軍役免除を約束する

これまで動静を見守っていた諸侯たちはこの通達を受けて次々とシーア派への改宗を行い、tunisへと出仕する。

シーア派改宗.jpg
旧アフリカ王国の諸侯は新たな支配者を受け入れた

このように、Yahyaは新たな支配地を円滑に統治するために占領地において徹底的に優遇政策をとった。 しかし、Yahyaがいくら解放者の仮面をかぶろうとも侵略者としての正体を隠し通すことはできない。

アフリカ王国征服の翌年に起きた反乱は正にこの矛盾が表出した結果であったといえよう。 「我々の主君はアフリカ王Aghlabid家ただ一つ!侵略者イドリースは出ていけ!!」 そう民を扇動して蜂起したのは、かつてアフリカ王の宮廷に仕えていたある男であった。イドリース朝による侵略により全てを失った層の不満が爆発したのであった。

占領地反乱.jpg

結局この反乱は鎮圧されるのだが、反乱軍に味方する者が皆無であったことから、Yahyaによる統治政策が効果を表し始めたことがわかる結果となる。 この反乱以後、旧アフリカ王国内での不穏な動きは姿を見せなくなり、イドリース家による統治はアフリカ王国全土に浸透していくこととなる。

老い

シーア派のカリフに即位し、イドリース朝をイスラム世界で無視できない勢力にしたYahyaはいつしか「大王」と称されるようになっていた。

大王Yahya.jpg
画像は死後のもの。0だった外交も4まで伸びた。

しかし、どんなに偉大な人物にも確実に老いは訪れる。

アフリカ王国征服より数年後、Yahyaを病が襲う。

病気.jpg
梅毒?らしき病気にかかるYahya

その病は全く未知のものであった。病は完全には治らなかったものの、幸い症状は軽くおさまり、数か月後にはYahyaは政務に復帰している。

病が原因なのかは定かではないが、次第にYahyaからはおかしな言動が目立つようになっていった。

悪魔つき.jpg
まさかの悪魔憑きになる

何日間も暗い部屋に籠って、怪しげな研究をするようにもなっていた。 Yahyaは普段は正常であるが、時折何かに憑かれたかのような行動をとるようになっていったのだ。 未知の病気への恐怖がYahyaを変えてしまったのではないか。廷臣たちはそう噂をしあった。

旅の終わり

イスレム歴280(901)年12月、イドリース朝領内において大規模な武芸大会が開かれた。最近すっかり元気をなくしていたYahyaのために側近が提案しての開催であった。

武芸大会.jpg
すっかり開くのを忘れていた武芸大会をこのタイミングで開催してみる

この大会で王太子Al-Qasimは誰もが感嘆するほどの優秀な成績を収めた。Yahyaは「上に立つ身の者が匹夫の勇を誇るとはけしからぬ」と息子をたしなめたものの、その表情は息子の快挙にとても喜ぶものであったという。

匹夫の勇.jpg
Yahyaは息子の奮闘に満足した

翌年には、Yahyaは正式にアフリカ王への即位を宣言する。

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これによって名実ともにYahyaはアフリカ王国の統治者となったのだ。

アフリカ王に即位したのを機に、アフリカ王国全土を平定してしまおう。そう考えたYahyaは唯一イドリース朝に従わなかった旧アフリカ王家の残党の討伐を開始する。 王太子Al-Qasimを総大将とする討伐軍はYahyaに見送られながら意気揚々と出発した。

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旧アフリカ王の息子はイドリース朝には決して屈しようとはしなかった

討伐軍は圧倒的な戦力で敵軍を破り、敵拠点の包囲を開始する。

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包囲陣に急報が届いたのは包囲を開始してから1週間ほど後のことであった。

王、倒れる。

王太子Al-Qasimは軍の指揮を配下に任せ、大急ぎで都へと向かった。

Al-Qaismアイコン.jpg 親父、大丈夫か!? Yahyaアイコンafter.jpg おお、Al-Qasim。死ぬ前に会えてよかったぞ。 Al-Qaismアイコン.jpg 何を言ってるんだ。弱気になるなよ。 Yahyaアイコンafter.jpg 余はもう長くない。それは自分が一番よくわかっている。人はいつか死ぬのだ。それが自然の理なのだから仕方ない。 Al-Qaismアイコン.jpg 親父にはまだやり残したことがあるんだろう!?死ぬなんて言うんじゃねぇよ! 息子の父に生きてほしいという強い思いを感じたのかYahyaはニコリと笑う。 Yahyaアイコンafter.jpg ああ。まだまだやり残したことはたくさんあるぞ。しかしそれはお前に託した。お前なら安心して任せられる。 Al-Qaismアイコン.jpg 親父…。 Yahyaアイコンafter.jpg 息子よ。国を治めるということは大変なことだ。しかし、強い信念を持って臨めば人はお前のことを理解しついてきてくれるだろう。どんな時も自分を曲げるな。自分を信じて突き進め。 Al-Qaismアイコン.jpg あ、ああ…。 Al-Qasimの目から大粒の涙が流れ落ちる。

Yahyaアイコンafter.jpg 愉快な人生であった。余は満足である。

この日から数日後にYahyaは天に召された。享年57.その死に顔はとても安らかであったという。

というわけで初代王の治世が終わりました。運よく周辺諸国から攻められずに順調に勢力を拡大することができました。 次代からはついにアッバース帝国が話に深く関わってくることになります。 次も是非よろしくお願いいます。


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