AAR/アフリカローマ帝国

狼王Tamim I

Sword of Islamでのイスラム教徒プレイの特色

Sword of Islamで追加されたイスラム教徒の特性を理解していただけると 以下のプレイ記録が分かりやすくなると思うので、説明します。

・一夫多妻制

最大4人まで妻を雇えて、逆に少ないと甲斐性なしということで威信ダメージがあります。離婚は自由にできます。 妻達は大抵宮廷内で陰謀を巡らせていて、他の妻やその子を暗殺して自分の息子を後継者にしようと画策したり、 夫の親族を暗殺して、混乱を起こそうとします。それを説得/投獄/処断してやめさせるのが夫の仕事です。

・イスラム教徒特有のCB

イスラム教では母系結婚や女領主が一切認められないため、 一族から土地が流出することが稀です。そのかわりイスラム教はスンニ⇔シーア同士で、 対異教徒と同様にReligious CBが使用可能ですし、同じ宗教同士でも信仰値を対価に 特別な理由無く宣戦布告できます。

ここらへんが無味乾燥になってしまい、イスラム教徒プレイがつまらないと言われる理由の一つですかね。

・Decadence-退廃

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これが一番厄介です。一族の中で領地を持たない成人男子はDecadenceポイントを発生させ、 このポイントによりペナルティが発生し、上がりすぎると王朝が崩壊しかねない危険なイベントが発生します。 (退廃した王朝を打倒するため荒野の部族が侵入してくる)

減らす方法にはある種のイベントや戦闘への従事があり、また該当者の投獄、追放、死刑で新たなポイント発生を阻止できます。 ただし、自分の息子を投獄したり、死刑にすることはできず、ポイント発生を防ぐには、 息子達に土地を分配しなければならない...でもそうすると次代で後継者争いは避けられない、というコンセプトです。

ですがこのコンセプトは全く上手く機能していません。 AI国家はポイント発生を無視して息子に土地は一切土地を配らず、 代替わりしたら新当主が弟を全員投獄。そうこうしているうちにポイントMaxで王朝崩壊します。

プレイヤーならそれを何とかやりくりできますが、ポイントの上昇値は領地の広さにも依存するため、 領土拡張しすぎるとそれだけで、Decadenceをコントロールできなくなり、王朝崩壊します。 異教徒との聖戦を繰り広げ、信仰を広めた帝国が退廃していると言われ崩壊? いやぁ、これはオカシイでしょう。

というわけで今回はDecadenceポイントの上昇率を下げ、低下率を上げています。

・公爵以上のイスラム系国家は王朝名が国名として表示される。

この時代の歴史に詳しく無い人には、何とか朝と言われても、どこにそれがあったのかさっぱりでしょうね。 AARを作る時には面倒な仕様です。 本AARでは王国級のメジャー国家は王朝名、公爵レベルはどこどこ太守と表記します。


Sultan Tamim I A.D.1066 Decadence 25%

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Africa王国と呼ばれる国家は画面右端①にあります。 往時はアルジェリアやリビアにも影響力を発揮していたようですが、 今やすっかり落ちぶれ直轄領1、全領土2プロビとなっています。 当然のように旧領土に対するClaimの類は一切持ってません。

家族構成は母親不明の息子と娘、弟、妹が一人ずつ。 同盟者は40年ほど前にイベリア半島に進出した遠戚のGranada太守②と、 妹を嫁という名の人質として差し出したTunis太守③がいます。

どちらも頼りにならない上、Tunis太守は現Africa王国領がde jureのTunis公領にあることから、 その領有権を主張しており、放っておくと裏切られて滅ぼされかねません。


Africa王国がこの先生き残るには、いったいどうすればよいのでしょうか?

その鍵は現在王国の存在するTunis公領が領邦6プロビから構成され、 そのうち三つをTunis太守が、二つをAfrica王国が、 残り一つを隣国Toripotania太守が所有しているという点にあると思います。

とりあえずデフォルトで設定されていない嫁を四人雇って、メッカ巡礼。

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一方、イベリアのタイファに対する称号Claimを沢山持っているこちらの人物は、 西部イスラム勢力の主役Almoravid朝MauretaniaのスルタンAbu-Bakr。

史実では彼と、その親戚で次代のスルタンYusfがイベリアのタイファを悉く占領したことを反映し、 Claimを持っています。このままだとうちの親戚のGranada太守が滅ぼされるんじゃないかと不安...

チュニジア奪還 A.D.1067-75 Decadence 23%

メッカ巡礼で信仰心を高めたTamim Iは、隣国Toripotania太守に突如宣戦布告。 理由はむしゃくしゃして、かっとなったから、だ。

イスラム教徒は信仰心を対価にして、理由無く隣国領土を奪うことができます。 このModだと一公爵領に付き信仰心-200で、さらに同じスンニ教徒と戦い続ける限り、毎月信仰心-2されます。

メッカ巡礼したくらいでそんな信仰心あるのか、と思われるかもしれませんが、 我々はこれから偉大なことを成し遂げる、はず、なので、信仰心の前借りは全く問題ないはずです。 それにイスラム教徒に破門とかは無いしねー、ははは。

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義兄弟であるTunis太守に同盟参戦を要請するも、 驚くべきことに彼はこの要請を断った。その不義理な態度には何か裏があるに違いない。 いいよ、こっちは傭兵を使うから...de jureのTunis公領Gabesを獲得しました。


Tunis太守の卑劣なる裏切り A.D.1072 Decadence 25%

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Tunis太守はAfrica王国がGabesを獲得してから態度を硬化させ、 1072年、遂に同盟関係にあるAfrica王国に対して宣戦布告した。

Tamin Iは卑劣な騙し討ちにも怯むことなく、借金して雇った傭兵隊を率いてTunis太守軍を撃破。 賠償金支払いによる講和締結に成功した。

しかし何ゆえTunis太守は突如友邦Africa王国を裏切ったのか?

理由はTunis太守とAfrica王国がde jure Tunis公領6プロビの半数、3プロビずつを領有していたことにあります。 領国の50%を確保しているためAfrica王国はTunis公称号の強奪が可能となり、Tunis太守はそれを恐れて裏切ったのです。 では、Tunis公称号を強奪するとどうなるのでしょうか?

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Tunis公称号を失った前Tunis太守は伯爵にランクダウン。 臣下であったBizert伯に対する宗主権を失い、分離独立してしまいました。 一方Tamim IはTunis太守として信仰心ペナルティなしでde jure Tunis公領を奪うことができる、 de jure claim CBを行使可能となりました。攻守逆転です。

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じゃあ前Tunis太守さん、同盟相手として早速、Tunis公領回復の戦いに参戦してくんない? なに、「この犬野郎、知るか!」だぁ? じゃあ次に滅ぼすのはアンタにするわ。


かくしてAfrica王国はチュニジアを回復した。

世界情勢 A.D.1075 Decadence 25%

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この頃欧州世界は激動の時代を迎えた。 モロッコ北部を征服したAlmoravid朝は遂にイベリア半島に上陸。 親戚のGranada太守も一応抵抗したが、あっさり敗れてその軍門に下った。


Granada太守の一族は少なく、子供二人しかいないため、Tamim IにもGranada太守のStrong Claim(常時主張可能)が転がり込んできた。 これを生かせる機会があるであるのでしょうか。

イベリア半島北部、レコンキスタ三兄弟は、長兄のCastille王が勝利を収めたようだ。 シチリア島の同胞Magreb族はNorman人の海賊に滅ぼされた。

なおEnglandを巡る三つ巴の戦いは、England王Harold IIが神聖ローマ帝国、France王国との婚姻同盟を結び、勝利した。 さすが、Harold、汚い。彼が負けるのを最近見た事が無い。

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東方ではByzantine帝国がSeljuk朝にじゃん負けしてArmeniaを喪失。 さらに時の皇帝を引き摺り下ろす反乱が勃発した。

一方の勝利したSeljuk朝成人した皇子達に与える土地が無くDecadenceが上昇中。 今のところSeljuk朝は安定しているように見えますが、大帝Alp Arslanが倒れて国の箍が緩めば、 あっという間に崩壊してしまうことでしょう。

傭兵家業 A.D.1076 Decadence 27%

なんとかチュニジアを回復することに成功した。 これに弾みをつけてde jure Africa王国領リビアにあたるTripotania,Cyrenica公領を回収したい所ですが、 そう何度も信仰値-200のCBを使い続けるわけにはいきません。 信仰値はもっと重要な機会のために取っておくべきです。


Africa国王としてde jure Africa王国領内の領地を奪えるde jure Country Claim CBというものがありますが、 こちらは先程使えなかったことからも分かるように条件があり、王室の権威を三段階以上にする必要があります。 現在王室の権威は二段階で変えるには威信1000、信仰値250、到底足りません。


しかたないなぁ。ということで傭兵ビジネスを開始。

この頃より国際市場に出回り始めた各国領主の令嬢達を娶り、 また自分の娘を送り出すことで、広範な同盟網を形成した。 戦争が始まったら呼ばれる前から勝手に押しかけて参戦する。 異教徒との戦争で威信、信仰値を稼ぎ、要人の捕虜から身代金を巻き上げ、ガッポガッポや!

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...しかし兵力が足りない。 この後救援に行ったAftasid朝Beja太守軍と共にキリスト教軍に揉みくちゃにされた。 反乱中のCastille王国を襲うというBeja太守の目の付け所はよかったが、 反乱が思いのほか早く終了し、Castille,Aragon両王国の総反攻を受けてしまったのだ。

Africa軍がイベリア半島から逃げ出した後、Beja太守国では当主が亡くなり、 戦争中であるにも拘らずその下の兄弟で後継者争いが勃発。 これには前太守に雇われた宗教騎士団であるイスラム聖戦士Ghazi達も唖然とする他なかった。

「イベリアのタイファはイスラム教的に腐敗、堕落しきっている。 これを正すには西部イスラム世界の救済者であるZirid朝Africa王国がイベリアを直接支配して秩序を正す他無い。 勿論Almoravid朝などという新参者ではだめだ」

Tamim Iは固い決意を胸に秘めチュニジアに凱旋帰国した。


Seljuk朝崩壊 A.D.1081 Decadence 20%

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偉大なるスルタンAlp Arslanが倒れ、長男Malik Shahが帝位に就いた暫く後、 突如Anatolia,Armeniaの領主が一斉に反乱。どうやらMalik Shahが何かとちったようだ。

イスラーム界の神聖ローマ帝国とも例えられるSeljuk朝の恒例行事、大反乱祭りの恐ろしい実態、 その凄惨さは神聖ローマ帝国をも凌ぐという... これはもう鎮圧不可能...

CK2plus Modではイスラム王朝の不安定さを再現するため、 複数回反乱鎮圧に失敗すると強制的に王国が崩壊するという素敵仕様なのですが、これは... (反乱鎮圧失敗するごとに王室の権威が一段階下がり、王室の権威一段階で鎮圧失敗すると崩壊)


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A.D.1081 Seljuk朝Persia崩壊。 しかし独立も束の間、Anatoliaのトルコ系部族は、コムネノス改革により復活したByzantine帝国に対抗するため、 便宜的に合従しRum王国を建国。これでSeljuk朝崩壊後の混沌とした時代を生き残れるのではないでしょうか... 元Persia王国はずっとこのまま分裂したまま...?

「あ、そうそうRumのスルタンさん、おたくのご長男に是非うちの娘を... ええ、自分でも食いたくなるほどの、別嬪さんでねぇ。いや、これは冗談ですとも...」


5年後、婚姻が正式に成立し娘をRum王国に送り出した。早速Byzantine帝国との戦争にお呼ばれした。 すると...


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ああっ! Rumのスルタン16歳、童貞にて死す!

娘は嫁入りから僅か数日で帰還した。 当主が出陣するのはやっぱ危険...

このような尊い犠牲もあったが威信、信仰値を稼いだAfrica王国は、王室の権威三段階通過に無事成功しました。


Granada奪還 A.D.1087 Decadence 21%

A.D.1087Almoravid朝のAbu-Bakrが崩御。長男Ismailが王位を継いだ。 人格者として知られた父Abu-Bakrに対し、Ismailは性格に少々問題のある人物で、 各地の領主はIsmailの起こした新たな征服戦争への参加に消極的になっていた。


さらに厄介なことに、この時期のAlmoravid朝は対外的に孤立していた。 Ismailは即位前に一時期Tamim Iの宮廷に滞在し、名誉ある宮廷毒見役をしていた経験もあるなど、 親Africa王国的であったのだが、その際にTamim Iの勧めで娶った妻が4人全員ただの町娘で、 婚姻同盟が一切成立していなかったのだ!

「あたい、こんな立派な宮殿は始めて!ご飯もおいしいし、服もキレイで夢みたい!」

これにはIsmailも苦笑い。ふとはめられたのでは思いがよぎるが、まさかあのTamim Iに限って... と、ここでAfrica王国がAlmoravid朝に宣戦布告。 既にToledo太守との戦争を始めていたAlmoravid朝は二正面戦争を強いられた。

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「お前のところのGranadaを返してもらおうか、あれは俺のもんだ」

「Tamimめ、謀ったな!!」

絶対有利の情勢下で戦争を始めたTamim Iであったが、その心境は悲壮でした。 何しろAlmoravid朝とAfrica王国とでは月とスッポン、戦力差は歴然としてます。 方々から集めた借金で傭兵隊を雇い、戦争中のAlmoravid朝に横槍を入れることで ようやく対等な勝負ができるのです。

「しかし親戚のGranada太守を救出するためのこの戦、負けるわけにはいかない。正義は我らにあり!」


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捕虜がポポポポーン

「かっ、金づるだーっ! 」


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...ともかく三年間の激戦の末、何とか戦勝点100までもっていき、 強制和平に成功、Granadaを奪還、Granada太守を救出しました。


この戦いは単にZirid朝Africa王国史における一勝利というだけでなく、 イベリア、西部アフリカ史を変える一大転換点となりました。 この戦い以後Almoravid朝はイベリアへの影響力を失って往時の勢いを失い、停滞期に入りました。 一方Africa王国はこの戦いを契機にイベリアへの影響力を増やし、 北部のレコンキスタ国家に対する宗教防衛戦争において積極的な役割を果すようになったのです。

狼王Tamim後半+中継ぎ王al-Muizz II(1090-1123)


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