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ヴァリャーグの侵攻を不安気に見守る東スラブ人たち |
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ヴァイキングは内陸の集落を襲うために細長く、喫水が浅い独特の船を用いた。多数のオールによって素早く漕げ、そして水深が浅い川でも航行できた。 |
7世紀以降、ドニエプル川とヴォルガ川に挟まれた一帯には東スラブ人が定住していたが、農業と狩猟のみを行う貧しい地帯であり、統一的な政治機構は生まれなかった。 8世紀中頃、スカンディナヴィアよりバルト海を渡り、ヴァリャーグ(ノルマン系のヴァイキング)があらわれた。 彼らの目的は豊かなビザンツ帝国であり、彼らはドニエプル川、ヴォルガ川を通って周囲の街々を襲い 毛皮や奴隷を手に入れ、黒海にでて略奪又交易をした(この二つは同義であった) この地域は交易路として経済活動が活発になり、ヴァリーグらは道中に拠点を作り、ノブゴロド、キエフに代表される多くの都市はこのときに生まれた。
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ヴァリャーギからグレキへの道 |
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ヴァリャーグは川を使ってビザンチン帝国まで向かった。このルートを”ヴァリャーギからグレキへの道”と呼んだ。 この地域の流れが緩やかな川が網目のように張り巡らされており、航行に非常に適していた。 |
9世紀中頃、ヴァリャーグのリューリク一族はドニエプル川沿いのノブゴロドとキエフを支配した。 東スラブ人はリューリクらの支配を受け入れ同化していった。 こうして南北に縦断する交易路が一つの権力下に置かれ、この地域を統一する国家が生まれた。 東スラブ人はこのヴァリャーグを”ルーシ”とよび、この国は”ルーシ”と言われるようになった 政治の中心がキエフにあったことから、後に”キエフ・ルーシ” キエフ大公国 と呼ばれた。