FrontPage AAR AAR/まったりホーエンシュタウフェン家
無事に領土が継承されたところで現状の確認をしたい。 継承法であるが、先にBaden公爵になっていたためGavelkindとなっている。なるべく早期にElectiveに変更する予定。 現在、第一称号がBaden公爵になっているがSwabia公爵に戻す。これは気分的な問題。 Africa戦線はほぼ勝利することが確実。早期に終結をはかりたい。
&ref(): File not found: "" at page "AAR/まったりホーエンシュタウフェン家/Duke Friedrich II of Swabiaの時代";
当主は既に妻子持ちLegitimized Basterd持ちの長男が推定相続人となっている。できれば名家の令嬢と再婚したい。(ただし王国法により私戦不可であるので領土拡張の助けにはあまりならないだろう。)
&ref(): File not found: "" at page "AAR/まったりホーエンシュタウフェン家/Duke Friedrich II of Swabiaの時代";
というわけで当面の目標は以下の通り。 1.Africa戦線の終結 2.嫁を××して新しい嫁をむかえる。 3.継承法をElectiveへ
1123年9月 妻Calora死亡、Alsace公爵家の令嬢と婚約 12月 Sultan of Africaが降伏、Tunis公爵領の東半分を押さえたことにより、Tunis公爵位を創設した。
&ref(): File not found: "" at page "AAR/まったりホーエンシュタウフェン家/Duke Friedrich II of Swabiaの時代";
1124年6月 Alsace公爵家令嬢Benedictaと結婚 ほぼ同時にEmir of Sicilyが他国と戦争していたのでSalernoの獲得を目指し宣戦
&ref(): File not found: "" at page "AAR/まったりホーエンシュタウフェン家/Duke Friedrich II of Swabiaの時代";
1125年10月 戦争は特に波乱なくSalernoを獲得
さて、タイトルにまったりとかつけておきながらひたすら戦争していたような気がする。今回の戦争の終結で少しは内政パワーを割けるようになるかもしれない。とりあえずは当面の目標の1つである継承法の変更を目指すとする。
1127年7月 次男Friedrich誕生、ゆくゆくはこの子を後継者として育てたい。
&ref(): File not found: "" at page "AAR/まったりホーエンシュタウフェン家/Duke Friedrich II of Swabiaの時代";
1127年10月 皇帝からKairwanの支配権を譲渡される。
さて、結果的にはKairwanを得たことにより、Afria王位へ大きく近づくことになった。
&ref(): File not found: "" at page "AAR/まったりホーエンシュタウフェン家/Duke Friedrich II of Swabiaの時代";
というのもKabylia公爵領を獲得できればAfrica王位を名乗ることが出来るからである。
しかも、そこを治めているEmir of Kabyliaはクロアチア王国と戦争中である。というわけで1127年10月宣戦する。
1128年10月 皇帝よりMedjerdaの支配権を譲渡される。 1130年3月 三男Heinrich誕生 1030年8月 皇帝がKabyliaを狙いEmir of Kabyliaへ宣戦。味方が増えたのはありがたいが、どちらが早く占領できるかの競争になりそうだ。 1032年8月 四男Reinhard誕生
1034年初の戦況
&ref(): File not found: "" at page "AAR/まったりホーエンシュタウフェン家/Duke Friedrich II of Swabiaの時代";
スコア上は優勢であるものの敵の残存兵力も多いほか、皇帝に先に占領されてしまうと領土獲得できなくなる。
1034年10月 ヴェネチアの請求権を獲得。この戦争が終わったら機を見て攻めたい。
1136年10月 開戦から10年弱、戦況は完全に泥沼化していた。というのも敵の同盟国としてEmir of Valenciaが参戦しており、しかもかなりの兵力を要しているほか、皇帝がその国とは戦争状態にないため皇帝が勝手につぶしてくれることも期待できない。よって一計を投じることにした。
&ref(): File not found: "" at page "AAR/まったりホーエンシュタウフェン家/Duke Friedrich II of Swabiaの時代";
暗殺である。これによりEmir of Valenciaは自動的に戦線を離脱することになる。 さて、いよいよ戦争終結も近いと思った矢先、皇帝のほうが先に講和してしまう。これでアフリカ王位からかなり遠のいたようだ。
&ref(): File not found: "" at page "AAR/まったりホーエンシュタウフェン家/Duke Friedrich II of Swabiaの時代";
その後は苦戦らしい苦戦もなく、1137年9月に勝利を収め、AnnabaとTell Atlasの支配権を獲得。
&ref(): File not found: "" at page "AAR/まったりホーエンシュタウフェン家/Duke Friedrich II of Swabiaの時代";
1137年12月 継承法をElectiveに変更し、次男のFriedrichを後継者に指名。なぜわざわざ次男を後継指名するのかというと、長男が私生児だからってだけでそんなに深い意味はありません。
自分の戦争が終わりましたので、ここでスクショ用いて各地の情勢を紹介したいと思います。
&ref(): File not found: "" at page "AAR/まったりホーエンシュタウフェン家/Duke Friedrich II of Swabiaの時代";
第3回十字軍の様子。ちなみに第1回と第2回は本AARでは完全にスルーしております。
&ref(): File not found: "" at page "AAR/まったりホーエンシュタウフェン家/Duke Friedrich II of Swabiaの時代";
&ref(): File not found: "" at page "AAR/まったりホーエンシュタウフェン家/Duke Friedrich II of Swabiaの時代";
フランス、ポーランド、ハンガリーは内戦状態になっている模様
&ref(): File not found: "" at page "AAR/まったりホーエンシュタウフェン家/Duke Friedrich II of Swabiaの時代";
イベリア情勢、ナバラ王国が若干がんばっているといえるのでしょうか。
1141年9月 前回の戦争終結から約4年、そろそろヴェネチアの請求権を回収するときが来たかなということでヴェネチアに宣戦。
開戦から2年ほどたった1141年6月当主Friedrichは突然病に倒れる。とここまではよくあることなので特筆すべきことでもないのだが、直後に亡くなってしまう。
&ref(): File not found: "" at page "AAR/まったりホーエンシュタウフェン家/Duke Friedrich II of Swabiaの時代";
晩年に妻の暗殺計画が失敗し、露見したりしたのがいけなかったのでしょうかね。結果的にはぎりぎりのタイミングでヴェネチアに宣戦したことになりました。