「いきなりですがアッバース朝に降伏します。動員兵力がどう見ても足りないのと、国内に不穏な派閥があります」
「これ以上の兵力、資金の消耗は不利。むしろ1プロビでアッバース朝との10年間の停戦期間が買えるならば安いですね!」
しかし降伏直後、タバリスタン太守が単独でホラーサーンへの聖戦をしかけてきます。 ひやりとさせられましたが、彼我の戦力差を考慮しない宣戦だったため、逆に家臣の結束を高める材料に使わせてもらいました。
さらには賠償金で900もの大金を得ています。 総合的に見るとプラスが多い戦争ではなかったのでしょうか。
「男子は僕しかいませんでした! これは成人前の時の家系図ですが、可愛い妹とはこの時点で婚約済みです!」
何気に二代目のMaziar少年王は、兄妹である父母が40を越えてから儲けた唯一の男子です。 ゾロアスター的にはとってもDivineなBloodのはずですね! ちなみにMaziar王は後に男子に恵まれ、後継者選択で贅沢に悩むことになります。
派閥への切り崩し等、国力の回復を待つためにこの後5年間ほど休養しました。
「まずはサッファール朝を攻撃。往年のゾロアスター教徒の反乱との戦いで、もはや疲弊しきっていて敵ではありません!」
それでも動員兵力が4500ほどしか無かったため、制圧に2年かかりました。しかしサッファール朝は大きく領土を減らし、残りは公爵領二つ分です。 次の攻撃で滅亡させることができるでしょう。ここまで来れば、序盤のハードルは一つ越えたと言えます。
10年前の失敗を繰り返さぬよう、家臣団は絶好のタイミングを選択しました。カリフがエジプト征服に兵を出した隙を狙ったのです。 ターヒル朝に抵抗力はほとんど無く、カレン軍は次々と適領地を占領していきますが……またしても悪夢がカレン家に襲いかかったのです。
エジプトと和平し、取って返してくるカリフの図。 幼君では国内は安定せず、ここで兵力を失えば派閥が暴発しかねません。傭兵を雇おうにも首都は北に遠く、カリフの援軍が達するまでに占領点を100%にすることも困難。 カレン家によるターヒル朝攻撃は、またしてもカリフによって阻まれることとなりました。
「おのれ、あのカリフの豚野郎め! この借りは必ず返してくれるぞ!」(注:現カリフの異名は "The Fat" )
戦いの最中、Maziarは成人し陣頭指揮にあたっていました。 父譲りの武勇と、国家経営の才を持った有能な君主です。
即位したその時から、Maziar王のカリフとの生涯に渡る死闘は運命づけられていたのかもしれません。57年にも及ぶ長い治世を、彼はムスリムとの戦場で過ごすのです。
ともあれ、苦渋の早期講和にも関わらず独立派閥がついに暴発します。 しかし伯爵単位で管理し公爵号は先代が全て破壊していたため、反乱勢力が各地に分散していたことがMaziarに味方しました。
「妹は小さいころの怪我が元で、顔に大きな傷がある……だが、それがいいのです!」
その翌年、サッファール朝の英主ヤアクーブが死去します。 直後に王位を巡って内乱が起きますが、この機を逃すMaziarではなく、即座に介入。察ファール朝は歴史書に消えました。
「ゾロアスター教の聖地も順調に回復しています。宗教の権威が上がっていて、改宗効率も良い感じになってきています」
かくして南方はほぼ平定されます。 同時期に北インドではムスリム勢力の残党が次々とインド諸侯に撃破され、征服されていきました。後方の憂いを断つことができたカレン家は、いよいよ西を伺います。
この頃、アッバース朝では度重なるエジプト遠征の失敗から国力が疲弊しつつありました。 その最中、"肥満者"の異名を持つ16代カリフが戦死すると、17代カリフに武人のBahirが即位します。彼こそがMaziarの生涯の対手となるカリフです。
「実力はかのヤアクーブには届かない……しかし、奴にはヤアクーブに無かった兵力があります」
「先代カリフが彼の弟達にも公爵領を配っている……離間を促す絡め手も有効でしょうね!」
上の図では密偵頭を放って偵察する小技を使っています。 他の者ではその1プロビンスしか見れませんが、実は密偵頭ならば隣接するプロビンス全てを見渡すことができるのです。 Opinionが低く能力も低い役立たずを2名ほど、戦争時はとっかえひっかえしつつ情勢を監視できますし、また敵の援軍の集結地点を割り出すこともできます。 上の戦いではこの後カリフ側が大敗しています。
「まさに今こそ好機……! 今ならばエジプトと講和されても、攻め切れるでしょう。まずはGruganを奪われた父の分を晴らす! 征くぞ!」
エジプト軍との戦いで疲弊しつつ、それでも1万の軍をかき集めてアッバース朝は反撃してきます。一時、主力同士で敗北寸前にまで追い込まれた戦闘もありました。 しかし地形を活かしてなんとかこれを切り抜けると、カリフ軍は壊滅。 その機を逃さずにカリフ位を求めて挙兵したのが、現カリフBahirのまたいとこに当たるティグリス太守でした。 カリフは堪らず音を上げ、降伏してきます。こうしてMaziarはまず、父から自身の幼少期に奪われたGruganを含むタバリスタン地方を解放しました。
カレン家に主力を撃滅されたカリフは防戦一方となり、その力に一時的な陰りが見えます。ティグリス太守の反乱は2年を経ても鎮圧されません。 この間に領内で発生した宗教反乱を鎮圧し終えたMaziarでしたが、この情勢を見るに、ターヒル朝への停戦明けの攻撃を決意します。
「イスファハン全域は割譲できませんでした。聖戦中にイスファハン北の伯爵領が反乱を起こしたため、占領が中途半端となったせいですね……」
反乱を収めたアッバース朝が、方々から兵力をかき集め、カレン家に復讐戦を挑んできたのでした。戦場は因縁の地、タバリスタン。
908年、後の世に残るMazandaranの戦いです。 敵の援軍の遅れからカレン家が死闘を制し、アッバース朝とカレン家の力関係が大きく逆転する契機となった一戦です。 ここで歴史が変わりました。以後、アッバース朝はカレン家に対して守勢に立たされることとなります。
実際、プレイ時はここで負けてMazandaranを取り返されたら泥沼に陥ると危惧していました。敵主力南の援軍が占領を優先したため援軍に遅れたことが勝因です。 また念のためで雇って送っておいた傭兵がいなければ、押し負けていたかもしれません。 筆者の中で間違いなく、カレン家の歴史に残る一戦です。
Mazadaranの戦いからさらに3年の月日を経て、カリフは降伏しました。
「見たか、カリフの弱卒どもよ! アータルの雷を恐れるが良い!」
いよいよアッバース朝の富の源、メソポタミア地方に手を伸ばすことができるようになりました。