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1106年 当主就任

#自己紹介 picture_02 Nikephoros II 13歳

「私がNikephoros IIだ。よろしく頼む」

「閣下、先代より言伝がございます」

Nikephoros IIへ あなたのためにIncome重視の内政をしておきました。 私の代では大規模な動員が出来ず、帝国には申し訳ないことをしました。

あなたの代ではこのIncomeを、軍事の強化と傭兵等の戦費に充てて下さい。

私は戦場に立てず他家からは罵られていましたが、あなたには期待しております。 初代の志、託しましたよ。

「先代は常に次代を見据えての行動をとっておられました」

「うむ、それは承知している。ありがたく使わせていただこう」

「早速ですが閣下、今代ではどのような戦略を?」

#4代目計画 picture_03

せんりゃく!

「第1目標はアナトリアの奪還、及びアルメニア、シリア、メソポタミア周辺の制圧だ」

「アナトリアは当然として、その周辺もですね」

「ここは当家の、というよりも帝国の戦略でもあるな」

「戦争が始まったら動員をかけておきます」

「第2目標はドュクリャ公だ」

「当家の兵力でも落とせますし、帝国周辺の統一という点においても大事な土地ですね」

「以上2点を目標に動いていく」

同年

#02 picture_04

高い王権へ移行

「これで皇帝陛下の動員兵力が増えたな」

「当家の方針にも適う政策ですね」

1108年 成人

#03 picture_05

Nikephoros II成人

「おめでとうございます」

「うむ。Intrigueを除いては悪くない数値だ」

「あとは早いところ子を作りたいところですね……」

「あぁ、そこだけが唯一気がかりとも言える」

1109年 予定通りの家臣反乱

#04, #05 picture_07, picture_08

Demetrias伯の反乱、領土召し上げ

「これでアテネ公国全ての領土を直轄地とすることができたな」

「収入と動員兵力が上がり、より効率良く帝国にお仕えすることができますね」

同年 幼帝擁立

#07 picture_09

Konstantinos XI戦死、幼帝(4歳)立つ

「これは荒れるな」

「周辺との戦争を控える中、内乱が起きたら目も当てられないですね」

「うむ、これは軍備を急いで整えなくては」

1112年 長男誕生

「お世継ぎの誕生おめでとうございます」

「これでゲームオーバーは避けられると思いたいな」

同年 Adrianopolis公反乱

#10 picture_11

「Adrianopolis公とその周辺公が、独立を求め反乱を起こしました」

「やはり起こったか。とはいえ機を見誤ったな」

「はい。高い王権に加え、我が軍の精鋭1500も南部から遊撃部隊として出撃します」

同年鎮圧。 しかし同時発生した別の反乱(カヴァルナ公)には独立を許してしまう。

1114年 幼帝事故死、継承者は……

#13 picture_12

幼帝Ioannes II 9歳の生涯を終える

「一体どこの馬鹿者が……」

#14 picture_13

幼女帝Aigidia I(7歳)爆誕

  _  ∩ ( ゚∀゚)彡 幼女!幼女!  ⊂彡

「……」

この年以降、帝国というより幼女帝を支える姿勢に 家臣一同、不安になったという。

1115年 反乱の嵐

#15 picture_14

Epirus公反乱

「公の反乱に加え、近くの領土でも別の反乱が起こり鎮圧に時間がかかっております」

「Constantinopoleより西で大きな勢力となっているな……」

鎮圧に2年かかる。 この戦で戦費がかさみ、大きな行動に移れなくなるが ここから13年、特にこれといった戦は起こらず帝国全土で内政が奨励される。

1127年

#17 picture_15.jpg 「なっ!!! 父上が幼女帝と結婚だと!!!!」

「陛下が見初めたようで」

「けしからん!!!」

この夜、アテネ公の枕が濡れていたという。

1137年 領土拡大

#21 picture_16.jpg

Zeta攻囲戦

「かねてより計画していた『ドュクリャ制圧作戦』を開始します」

Diplomacyが高いので演説イベント発生

「諸君、私は戦争が好きだ」

~以下略~

「よろしい、ならば戦争だ」

「「「戦争! 戦争! 戦争!」」」

1月から開始したドュクリャ戦役は、同年7月、アテネ公の大勝利で終わった。 この勝利により直轄地が5つに増える。

この勝利の後、伯爵になると子供作りやすい気がするので 長男にDemetriasを与える。

1140年 長男死去

#24 picture_17 「息子よ……」

継承者が孫に移る。

同年、金が溜まったのでアテネ兼ドュクリャ公となる。

1143年

分割相続を長子相続に変更。

1144年

ファーティマ、セルジュークが一枚岩でなくなったことにより 1140年よりHoly Warを連発、ビザンツ帝国は領土を拡大していた。 また北方の独立した公国とその周囲も平定。

#17補足 picture_18

遊撃部隊として頑張る当家

#27 picture_19

1144の勢力図と聖戦

1154年

#30

Holy Warの最中、幼女帝(47歳)隕つ

「おぉ……」

「……帝国の領土拡大という点においては、優秀な女帝だったと言えるのではないでしょうか」

#32 picture_20

幼女帝の成果

#31 picture_21

後を継いだBoethios I 23歳

この皇帝、後にある事件を引き起こす。

同年 無実の投獄

#33 picture_22 「なぜだ……」

無実の罪による投獄で、暴君と呼ばれる皇帝。 帝国領内のopinionがとんでもないことに。

#34 picture_23

皇帝に対するopinion

孫が後見人となる。

1161年

#37 picture_24

孫が死去。曾孫が継ぐ

「帝国に対する反乱鎮圧が原因で死ぬとは……」

1163年

#39 picture_25 「ハハッ……獄中で死ぬか……幼女帝~幼女帝~」

子、孫を失い、さらには投獄されたこともあり、彼の精神は崩壊した。

57年間の長期に渡り、帝国のために北へ東へ奔走し 帝国……ひいては当家のために、公爵とその領地を獲得した 彼の功績は評価されるべきものである。 帝国を支え続けた忠臣の1人として、その死は宮廷内で大いに嘆かれた。

4代目 Nikephoros II 71歳没 5代目 Gregoras I に万歳!

5代目 Gregoras Iへ


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