歴史・背景

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聖ルイ。1214.4.25-1270.8.25。

生涯

フランス王(在位1226-70)。ルイ8世の長男。

フランス封建王政最盛期の王で、正義の王とされた。

幼年で即位し、1235年まで母后ブランシュ・ド・カスティーユが摂政をつとめたが、この間のすぐれた統治によりのちの繁栄の基礎が築かれた。

親政初期、イングランド王ヘンリー3世に支援された貴族の反乱をタイユブール橋の合戦で破り、さらにヘンリー自身をブライユに追撃。1243年の休戦以降王国内に大きな同様の生じることはなかった。

諸侯間の調停者として王領内の私戦を禁じ、国王政府から裁判部門である高等法院を独立させ、標準通貨の品位を確定し、地方を監察する巡察官制を定め、王領は、大西洋から地中海にまで拡大した。

また二度の十字軍遠征を行った。

すなわち1248年第六回十字軍を率いてエジプトに遠征し捕虜となったが、その人柄がイスラム教徒によく理解されて「正義のスルタン」と呼ばれた。 釈放後聖地に巡礼して帰国。1270年国内の反対を押して第七回十字軍をチュニスへ行い、同市を包囲したが、疫病のため陣中に没した。

神の代理としての王、殉教の王としてたたえられ、民衆のなかにも王の権威が浸透し、1297年列聖された。

廷臣のジョワンビルによる伝記がある。

(参考:ブリタニカ国際大百科事典)

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聖ルイの弟、シャルル・ダンジュー。シチリア王。
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聖ルイの伝記作家、ジョワンヴィル。

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